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 香港が激動している。昨日、ついに香港警察は拳銃を発砲した。
 威嚇ではあったが、拳銃が抜かれ、引き金がひかれ、銃口から弾丸が発射された。これは一つの転換点になるかもしれない。
 デモ隊も8月18日170万とも言われる巨大な、そして平和的なデモと70年闘争を思い起こさせるような激しい実力行使とが相互に呼応しながら進んでいる。あるところでは激しい実力闘争を闘った学生(だと思う)たちを拍手で迎え入れる市民たちの様子を撮影した動画もアップされていた。
 運道は明らかに雨傘運動を総括し、その地平でいまの運動は準備され、闘われている。


 久しぶりにAmazonにレビューを書いた。以下、その転載。

**********************
『香港』(倉田徹、張彧暋 岩波新書)
 2019年8月。すでに香港の大規模な大衆運動は3ヶ月に及ぼうとしている。一方での激しい実力行使をも伴う闘争と、もう一方での700万人中一70万人が参加したと言われる信じられないくらいの規模の平和的なデモが共存し、呼応し合うようにして状況が進んでいる。
 香港警察は昨日、ついに発砲した。人間めがけて、ではないにしろ、拳銃を抜き、威嚇し、発砲。その背後には圧力をかける中国政府がいる。
 本書は2015年に書かれた。前年のいわゆる雨傘運動(雨傘革命という言葉は筆者たちによって採用されていない)の翌年に出版されている。雨傘運動とは何であったのか、それはいかなる歴史の中で現れてきたのか、どこにたどり着いたのか、そこに含まれている課題は何だったのか。そこに迫ろうとしている。
 本書を読むと、2019年夏の闘争が明確に雨傘運動の経験を踏まえ、それを突き破ろうとする模索の上で戦われていることがかなりはっきりする。
 前半3章は倉田徹が中国、イギリス、香港の歴史を概括的にまとめている。
 後半2章は張彧暋が書いている。4章は香港の文化をとおして香港に生まれてきている自己認識を分析する。そして5章は雨傘運動自体に迫る。
 雨傘運動には占領中環(オキュパイ運動)と学民思潮という運道の指導的グループが2つある。世代的にもことなる。
そして占拠運動も2つの中心地を持つ。対照的な金鐘と旺角。メディアなどでも非常によく好意的にとりあげられてきた前者にくらべ後者には、学生を守ろうとした「闇社会の人々」なども登場し、庶民の混沌としたエネルギーにあふれている。張彧暋はその旺角から10分ほどのとこに住んでいたとのことで2つの占拠地を比較しながら運道の2014年現在の状況と今後を見つめようとしている。
 2019年の運道は様々な点で2014年をくぐり抜け、考え抜いてきた人々によって準備され、担われている。
 すべてではないにしても、現在の彼ら/彼女らの考えていることが少しだけわかる気がする。
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 以下は、「なぜ「保守」論客が「とことん共産党」に?/とことん共産党」というタイトルで2018/10/10 にライブ配信され、yout tubeにアップされている動画の、小金井市議会での陳情書採択に対する対応について小池晃氏がコメントした部分を書き起こしたものと、それへのとりあえずの感想です。
(書き起こしは下の方)


 きちんと文章にして読み直しても、やはり小金井市で提出された陳情に対して「オール沖縄の合意」「合意してきた中身」と陳情の中身を対地させる構造になってしまっている。
 少なくとも小池氏は小金井市民、あるいはその「陳情を提出した人たち」に対して、沖縄はこうなんですよ、という言い方で応答している。
 さまざまな問題をはらんでいる。また生み出している。

1)共産党=「オール沖縄の合意」の立場、となっていること。
 それは一方でオール沖縄の合意のある部分だけを抽出するものになっていないか。幅のある意見のある部分だけを抜き出してそれをオール沖縄の合意そのものだとしてしまうならば、異なる意見は排されていかざるを得ないのではないか。それは本土から沖縄へ対立を持ち込むことになるのではないか。

 例えば「本土復帰」前後、本土の政党(保守も「革新」もふくめて)から「本土並み」と称して沖縄に問題が持ち込まれたことがあった。例えば全軍労などが中心になってあらゆる困難を想定し、準備されていた69年2・4ゼネストを中止させたのは「本土の革新勢力」だった。そうしたことの再現をみるように見えてならない。

2)共産党=「オール沖縄の合意」とすることは、これまでとは別の本土ー沖縄の対立を生み出すのではないか。

3)またこの陳情書を出したのは小金井市民だろうけれども、その内容は小金井市政にとどまるものではなく、いわば沖縄がもう一つの当事者になっている。しかし小池氏は、自分たちの立場=オール沖縄の合意とすることで、「もう一方の当事者である沖縄」への説明責任をネグレクトし、放り出すことになるのではないか。

4)陳情がもとめ、質問者が尋ねていることの一つは、そしてたぶん、それは小さくない論点でも有ると思うけれども、「国民的議論をしないという立場なのでしょうか」「国民みんなで考えなくちゃいけないんじゃないか」ということだ。
 私は基地の本土移設の立場には立たないけれども、具体的に自分の住む自治体に移設するということを想定し、想像し、議論しなければ「当事者として議論できない」ような状態に本土の現状があることは確かだと思う。そうした問題の提起なのだと思う。
 けれども小池氏は、この論点を自分で確認しながら、具体的に突きつけられた切っ先を「想い」という言葉でオブラートに包み込み、消し去ってしまっている。「想い」と具体的な政治的方針とはまるで違う。違う違う、実際に「国民みんなで考えること」「国民的議論をすること」を求めているわけで、それを「想い」にずらしこんだ瞬間に、それは「議論しない」ということにしかならない。

 また、そのために、陳情は「国民的に議論して、代替地が必要だという結論なら」という条件付きで「全国の自治体を等しく候補地とする」としているのだけれども、その条件を消してしまって「全国のすべての自治体を等しく候補地とすることになっている」と言っているが、それは論理的に間違っている。一定の条件のもとでの命題は条件を外せば成立しない。小池氏の議論は、陳情が述べていない内容をつくりだし、その立場は取れないといっていることになる。

5)なぜ基地撤去が果たされないのか。
 そのことについて小池氏は「代替地の議論があるからだ」としている。
 そうだろうか?非常に単純に「本土が沖縄ほど、基地問題のことを考えていないから」じゃないのか。だから代替地が必要だとか必要じゃないとかという議論に撹乱され、煙に巻かれているだけじゃないか。
 穿った見方かもしれないけれども、小池氏にとってそんなことは百も承知したことなのじゃないかと思う。だとすればなぜ彼は「代替地の問題」を基地撤去できないことの理由に上げるのか。それは陳情書への賛成を撤回したことを合理化するための「理屈」だとしか思えなくなる。

 そのことは共産党の党是に反する側面があるだろうけれども、もう一つはこの議論を進めていくと各地方議会の選挙に跳ね返ることを危惧しているのかもしれない。


(以上、さしあたりの感想)

******************

https://www.youtube.com/watch?v=k7SBayXFu1M
1:09:23からの該当部分です。
(小池)
 僕ら野党共闘の時代の自分たちの心がけなきゃいけないな、と思っているのは、相手をリスペクトするということなんですよね。
 個人の尊厳を破壊するような政治に闘う、そのために意見の違いを乗り越えて闘うときだけに、やっぱりそのいろんな違いを乗り越えて相手をリスペクトする、そういう姿勢が何をいおいても一番大事じゃないかなと思っていて、だから他の野もリスペクトし、市民の皆さんもリスペクトするし、いろんな違いは違いとして認めあって、というのがいますごく大事になっているんだと、いうふうに思いますね。
(ここからが小金井市議会の陳情の問題。司会者も小池晃氏も少し空気が変わる)
(司会)
 それと今日の話の流れと少し違うんですが、寄せられている質問があるので、最後にちょっと小池さんにあの…
(小池)
いまのちょっとリスペクトの問題と関係する、うん、
(司会)
 関係しますかね。
 ご存知のかたもいらっしゃるかと思うんですけれども、東京の小金井市議会で出された陳情の問題、意見書の問題についての質問です。
 「小金井市議会で市民が出した陳情について共産党が賛成しなかったことがネットで議論になっています。その内容は、
1)辺野古新基地建設を直ちに中止すること、
2)代替施設の必要性を国民的に議論すること、
3)代替施設が必要だという結論なら全国の自治体を等しく候補地とすること
を求める内容だったと聞いています。
 これに共産党の小金井市議団が一度陳情に賛成しんですが、そのあと全面的に賛成とは言えないということで市民の皆さんにお詫びをしました。これはどういうことになっていたのでしょうか。」
(小池)
 様々な意見を頂いているんですね。
 小金井の市議団が途中で態度を変えたっていう経過については、これは率直に申し訳なかったと、お詫びをしなければいけないな、というふうに思ってんですね。
で、同時にこの陳情の中身についてのいろんな意見を頂いていまして、頂いている意見としては、陳情に共産党が賛成しなかった、ということは国民的議論も行わないという立場なんでしょうか、という質問も来てるんですけども。
 あの、こういう意見を聞いて思ったのは、市民の皆さんの想いっていうのは、この陳情を出された人もそうだと思うんですけれども、やっぱり基地の問題を沖縄の人だけじゃなくて国民みんなで考えなくちゃいけないんじゃないか、という想いなんですね。沖縄だけの問題にしないで、全国で問題にしないといけないんじゃないかっていう想いなんですね。
 それはやっぱり大事なことなんじゃないかなと思ってんですね。
 だから、この陳情によせられたその想いっていうのを、ぼくらはしっかり、それこそリスペクトして受け止めて議論していかなきゃいけないと。
 同時に、じゃ、どうしたら本当に沖縄の基地を撤去できるのかということについて言うと、いままでなんでこれがうまく行かなかったかというと、代わりが必要なんだと、代替施設が必要なんだと、それが国外、県外、まぁ、いろんな議論、あるけれども、そういうことが必要なんじゃないかって言うことで。
 そういう議論が果たして必要なのか。
 やっぱり、そもそも沖縄の人々を収容所に入れている間に土地を勝手に取り上げて基地にしたものに対して、そのかわりの基地をなんで出さなきゃいけないんだ、つくらなきゃいけないんだ、というところに僕らは、やっぱり基本をおかなきゃいけないと思っていて、で、やっぱり普天間の基地を無条件撤去、閉鎖・撤去ということが一番、この解決の道なんだということをわれわれは主張してきたし、オール沖縄の合意ということも普天間基地の閉鎖・撤去、それが建白書というふうになってきているので、ま、この意見書は、その、普天間基地の代替移設について沖縄以外の全国のすべての自治体を等しく候補地とすることとなってるんで、この、やっぱり一文に、政党として賛成ってうふうにはやっぱり言えないんですよ。
 で、そういうことでこういう態度になったわけなんですけども、で、これ、結局、今度の市議会では採択されず、先送りになったので、12月の議会で結論が出てくることになると思うんですけれども、ぼくらとしては、陳情した人たちの思いも政府に届けることは必要だと思ってるんで、何らかの形で、ま、オール沖縄での合意してきた中身と矛盾しない形でこの陳情の趣旨が政府に伝わるような形でね、結論が得られるように今後努力をしていきたいなと、いうふうに思っています。
 ま、ぜひ、そういったことでご理解をいただきたいな、というふうに思っています。




追記
赤旗電子版にyoutube でのLIVE後、その内容をまとめた記事が掲載された。共産党の「公式な立場」になったことになるのだろう。

2018年10月12日(金)
小池書記局長
日本共産党の小池晃書記局長は10日に放送された「とことん共産党」の中で、東京の小金井市議会に出された意見書をめぐる党の対応について寄せられた質問に答えました。
 同意見書は、辺野古新基地建設を直ちに中止し、米軍普天間基地を運用停止にすることとともに、代替施設について全国の自治体をひとしく候補地にすること、代替施設の必要性を国民的に議論し、必要だという結論なら公正な手続きで決定することを求める内容です。
 番組への質問は「これ(意見書)に共産党の市議団が一度賛成し、そのあと全面的に賛成とは言えないとおわびした。これはどういうことか」というものでした。
 小池氏はまず、「小金井の党市議団が途中で態度を変えた経過については、率直におわびをしなければいけない」と表明しました。
 小池氏は、共産党市議団が賛成しなかったことについて、「共産党は国民的議論も行わないという立場か」という意見も来ていることを紹介。「こういう意見を聞いて思ったのは、市民の皆さんの思いは、この陳情を出された方もふくめ、基地の問題を国民みんなで考えなければいけないという思いではないかということです。これは大事なことであり、その思いはしっかり受け止め、リスペクトして、議論をしていかなければならない」と答えました。
 そのうえで小池氏は「どうしたら普天間飛行場を撤去できるのか」と提起。「なぜ1ミリも進まないのか。代替施設が必要ではないかと、いろんな議論があった。しかし、そもそも沖縄の人々を収容所に入れている間に土地を勝手に取り上げて基地にしたのに対し、代わりの基地をどうして提供しなければいけないのか。ここに基本を置かなければいけないと思っています」と述べました。
 小池氏は、日本共産党は普天間基地の無条件撤去を主張してきたこと、「閉鎖撤去」が「オール沖縄」の合意にもなっている経過を説明。意見書の「代替施設について、沖縄以外の全国全ての自治体を候補地とすること」という部分について「これに政党として賛成することはできません」と説明しました。
 今回の市議会で意見書は採択されず、政府に送付することは先送りになっています。小池氏は「陳情した人たちの、全国で基地問題を議論しようという思いが、政府に伝わるような結論が得られるように、努力していきたいと思っています」と述べました。
とても久しぶりに更新。


 森田恵子監督の「小さな町の小さな映画館」「旅する映写機」につづいて映画を映す人にフォーカスした『まわる映写機めぐる人生』。




 デジタル化されていない映画を映し出す人たちに会いに行くドキュメンタリー。


 DVDでみるのと映画館でみることは違うとは思っていたけど、はじめてフィルムで上映される映画を観ることはライブなんだと知った。


 隣りにいる人、前にいる人、映画館の人、その空間によって映画から感じ取ることが変わるとは思っていた。この日の上映でも始まる前に拍手が起こる。途中、笑い声があがる。映画が始まる前に拍手ってないよね、いつもは。でもこの空気は作品が醸し出したもののような気がする。映画から親密な空気が流れ出している気がする。


 もっともっと奥行きのあるものだった。フィルムの状態や映写機の調子、スクリーンの材質やお客さんの入やその音場の変化…「毎日違うんですよ」とある映写技師さんがいう。デジタル化された情報にはない「豊かさ」だろうか。


 きっとそれは、例えばピアノが弾き手によるだけでなく、温度や湿度によって、置かれている場所によっても微妙に音が変わるのと同じなんだろう。映写技師という職人さんにはそれがわかるらしい。




 ほとんどいままで記録されてこなかった映画を上映する人たちの歴史でもあった。戦争があり、戦意高揚の映画や「マー坊」という「少国民」を育てるアニメーションもあった。広島・長崎にこだわり映画を上映し続ける人がいる。それが眼の前のスクリーンの中で肉声で語られる。


 後半は地域で映画の上映会をずっとやり続けている人たちを追う。20年、30年継続している人たちもいれば新しくはじめた学生のグループもいる。2020年東京オリンピックや「世界に冠たるニッポン」みたいなことが声高に叫ばれる空気が上空を激しく流れているけれども、地面にはちゃんとしたものが、まだちゃんとある。そんな気がする。




 フィルムは経年劣化する。きっとデジタル化されたほうがいつまでも同じ状態を保てるのだろう。けれども経年劣化するからいいのかもしれない。そこにはちゃんと時間が流れている。人間の時間も映画の時間もフィルムの時間も。行ったこともないけど、ギリシャの神殿がピカピカの大理石だったら興ざめするかもしれない。時間の堆積がはじめて生み出すことだってある。




 この映画、何というのだろう?「人間が近い」。それは監督が一人でカメラを担ぎ、カメラマイクだけで撮影しているからなのかもしれない。第三者の目線ではない。いつもカメラが人間と人間の関係の内側にある。だからかな、近所のおっちゃんやおばちゃん、子どもらがいつもどおりにそこに映っている。そんな感じの映画。親密さはそんなところに感じるのかもしれない。




 凄い映画か?と言われたらちょっと口ごもってしまうけど、人がつくった、人を映し出した映画ですよ。

多木浩二の『思想の舞台』を読んでいる。
 彼がダンスについて、あるいはダンスの写真について書いている文章は他に知らない。「専門外」のため、ときどき言い淀んだり、言葉を探しあぐねたり、少し自信なさげだったりしながら、それでも書き続けている。

 たぶん、それほどに彼にとってダンスやダンスを写し取った写真は思考を刺激するのだろう。読み手として、私はそのまだ固まりきらない思考が立ち上がる瞬間に居合わせることができるように思えるのはこの本の魅力かもしれない。


 多木浩二の文章を読むにつけ、彼の思考の<現場性>のようなことに惹きつけられる。
 むろん一般的に学者や研究者が、既成の理論や考え方のテンプレートで現実を裁断しているとは思わないけれども、彼ほど、<現場に直面して思考が始まり、現場に直面して思考が躍動する>感覚をうける書き手はあまりいない。すでに自分が考えたこと、書いたこと、吐き出した言葉を一顧だにしない。そんな気がする。
 例えば『生きられた家』や『「もの」の詩学』などを読むと、多木浩二の目や手、ファインダー、<多木浩二>としてかたちづくられてきた一つのスタイルを通しながら、「もの」そのものが流れ出してくる。いや「もの」そのものというよりも人間に現れた「もの」そのもの、というべきかもしれない。そんな手触りがある。

 『思想の舞台』のなかでこんなフレーズがあった。
 「私は美術、建築、写真の批評家であるが、たいていはほとんど即座に判断する。その場合でも長い論文を書くのは言葉と思想が熟したずっとあとになってからのことであり、そのとき、決して書きはしないが浮かんでくるのは『美しい』という言葉なのである。」
(「「美しい」という言葉 イリ・キリアンに贈る言葉」『思想の舞台』p81)

 そうか、即断するのか。
 言葉と思想が熟成時間は必要であるとして、しかしその出発点は「即断」にあるのか。なるほど。
 その「即断」は「即座の判断」だけれども意識的な行為としての「判断」ではないのだろう。むしろ「もの」と「多木浩二」が接触したその瞬間、「もの」と「多木浩二」が未分化の状態の何かから直接派生することだと思う。接した次の瞬間と言うべきか。
 それは言葉そこから立ち上がる場であり、言葉が否定される練磨の場であり、立ち上がった言葉が立ち還り構造化していく経験が生み出された場なのだろうと思う。人称すらないような、人間の内部とも外部ともいいえぬような、そのような場ではないかと思う。

 まぁ推測に過ぎないけれども、この「即断」が彼の思考の<現場性>であり、<現場に直面しての躍動性>が湧き出す地点なんだろうと思う。
あいかわらずスペイン内戦/革命の歴史を追っている。
 カタルーニャの独立問題があるからが最初の気兼ねだけど、ケン・ローチの『大地と自由』、そしてあまり話題に上がらないけれども『ファーザーランド』をみたことも影響している。スペイン内戦/スペイン革命の射程は思っていたよりもずっと長く、深い。

 いまポール・プレストンの『スペイン内戦』をむかつきながら読んでいる。どうしても食指のうごかないH・トマスの『スペイン市民戦争』の系列のものだと思うけれども、あちらこちらで苛つきながら読む。まぁこういう本の読み方もタマミにはしないといけないのかも、と思う。


 ブレイディみかこさんの(どうもこの人には「敬称」をつけてしまう。なぜだろう?)『THIS IS JAPAN――英国保育士が見た日本』を先日読み上げて、吉田裕『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 』(中公新書) を読むはずだったのにあることでダンス関係の本を読み始めてしまった。そのため短期的なものになると思うけれども別のツィッターアカウントとブログまでつくってしまった。

 ひょんなことからひょんな世界に迷い込むこともあるものですね。
 チビチリガマが破壊された。複数の人間によるものだそうだ。一人では無理、と。

 三上智恵さんの映像レポートの中で知花さんは淡々と説明していた。撮影用のライトをもってガマの中に入っていたが、その光が届かない奥深さがあった。そしてそこにも侵入者は入っていっただろうということだった。

 ガマにあったビンやカメが割られていた。
 人の歯が落ちていた。
 入口にあった「平和」と大書されたものも壊されていた。

 たぶん、夜中に、誰かが連れ立ってガマに入る。集団自決のその場所に入る。ガマはライトをかざしながらもなお暗いところを抱え込む。自分の後ろには光は届かない。ガマがくまなく照らし出されることはない。
 その光が届かない深い闇に包囲されながら彼ら・彼女らは侵入し、侵犯し、破壊行為を行う。彼・彼女らはその深い闇に目を凝らすことはなかったのか。後ろを振り向いたりしなかったのだろうか。目の前の光の中に浮かび上がったものをただ破壊していったのだろうか。

 破壊したビンやカメにそこにいた人たちを想起させなかったのだろうか。入口に書かれた文字に人間を見なかったのだろうか。ビンはただのビンだったのだろうか。「平和」と書かれた文字はただの黒い文様に過ぎなかったのだろうか。
 あるいは、彼ら・彼女らは、そこに人がいたら人を破壊しただろうか。瀕死の人がいたらとどめを刺しただろうか。

 わからない。

 失われたのはそこにあるモノに人間を透視する想像力だったのだろうか。それともそこに人間を見ながら、彼ら・彼女らの敵を破壊し、殲滅したのだろうか。

 2014年ガザ侵攻時だったか。夜のイスラエル軍の激しい空爆がガザの上空に光る。それをビールのジョッキを片手に指差し、笑い声を上げながら見物していたイスラエル人の青年たちの姿があった。
 南京で切り落とした中国人の首をぶら下げて微笑む皇国ニッポンの兵士の写真。
 国会で薄ら笑いを浮かべ答弁に立つ安倍首相の顔がそこに重なる。

 その荒廃は恢復しうるものなのだろうか。

 先日の夜、居酒屋の前で同僚を待っている5,6人の勤め人がいた。その同僚が上手く発音できない音があることを楽しげに笑っていた。その笑いが彼らの間で共有され、親密さを作り出していた。その人がいないことをいいことに。そしてたぶん、本人がきたら何もなかったように、普通に談笑するのだろう。その談笑が恐ろしくてならない。
 よくありがちな光景ではある。
 彼らが例えば「チョーセンジンが…」とか「シナ人が…」と言っていてもなんの不思議もない。そんな空気感。

 いたたまれない。そしてふと自分も同じことをしているのではないか、と恐ろしくなる。あるいは、もしそうした言葉が飛び出していたら、私は止めに入れただろうか、と思う。


 祖父のこと。二度の徴兵、7年間の中国戦線での従軍、そして二等兵から曹長への昇進。少しは「武勲」があったのだろうか? あったとしたらいったいどのような?
 彼は戦時中のことをしゃべらないまま亡くなった。私も自分から聞こうとはしなかった。語りたくないことがらだったのかもしれない。
 幾人かの中国人を殺したのだろうか? もっと多かったのだろうか? あの首をぶら下げて笑っている皇軍兵士は祖父そのものだったのかもしれない。ほんの僅かな偶然で、私は生まれず、私ではない中国の誰かがいまこの世に生きていたのかもしれない。生命の流れを幾筋も途絶えさせたのかもしれない。少なくともその仕組を動かす中に祖父はいた。そのことは祖父の中に語りえない世界を生み出したのではないかとは思う。

 戦争は人間を荒廃させる。そして荒廃した人間が戦争を加速させる。
 1923年の関東大震災と朝鮮人虐殺は極めて大きなことだっただろうと思う。あの時、首都圏一円で日本人は「朝鮮人」とみなした人々を敵として殺した。その8年後には中国東北部への侵略が始まる。そして南京につながる。23年9月1日は日本人の中にも極めて重大な傷を残したのだと思う。国内で「朝鮮人」とみなした人々を殺して、中国への侵略と戦争、南京での虐殺、人体実験…はその直接の延長線上に当然のように起こるのではないかと思う。

 安倍、麻生、小池などをはじめ、政府の中枢から、社会のあちらこちらにいたるまで、戦前、戦中からいまにいたるまで続く清算されないものが、より大きくなって顔を出していることを身体で感じる。
 8月12日、シャーロッツビルでファシスト(ネオナチ、白人至上主義者、人種主義者を含む)が抗議する人々の中に車で突っ込み、女性一人を轢き殺した。
 今年4月、シャーロッツビル議会が独立戦争時の南軍のリー将軍の像を公演から撤去することを決定。現在係争中。南北戦争時代の南軍側支持が白人至上主義と結びつく傾向が強くあるためリー将軍の像に類するようなものの撤去があちらこちらで進んでいるという。
 そしてこうした流れに対して、「白人至上主義者の側には「自分たちの象徴が潰されようとしている」ものと映る。実際シャーロッツビルでも先月すでに人種差別団体KKK(クー・クラックス・クラン)が抗議のデモを行うという動きがあったが、しかしこのときの参加者は30名ほどにとどまり、抗議のために集まったカウンター約1000人に圧倒される結果となった(なおKKKは白の頭巾を被った姿に象徴されるようにそもそも素性を隠して活動することが基本で、こうした形でデモを行うということはそもそも珍しい)」(アメリカ・シャーロッツビルに白人至上主義者が集結 その背景と経緯、そして今後 明戸隆浩)

 そこで白人至上主義者が全米に呼びかけるファシスト大衆運動の登場となった。

 それ以降、大統領ドナルド・トランプが発言を二転三転させるなか、彼が組織した二つの諮問機関が辞任、解散。危機に直面する中でバノンの解任に進んできている。


 三つの焦点がある。

 一つは共和党内部や財界からも強い非難が突きつけられるなかスティーブン・バノン首席戦略官兼大統領上級顧問を8月18日付で解任。トランプ大統領の政権の崩壊の可能性が浮かび上がってきていること。

 もう一つはファシズムとそれに対する抵抗運動の動き。
「【8月20日 AFP】米北東部マサチューセッツ(Massachusetts)州ボストン(Boston)で19日、白人のナショナリストらが集会を開いた。これに対抗して警察の推定で4万人に上る反人種差別主義者のデモ隊が通りを埋め尽くし、ナショナリストの集会を圧倒した。」
「極右グループによるいわゆる「フリー・スピーチ(言論の自由)」集会はボストンで19日午後2時(日本時間20日午前3時)まで行われる予定だったが、終了予定時刻の30分前には警察官らが数十人程度とみられる同集会の参加者に付き添って、反人種差別主義デモ参加者の大群衆を抜けて安全な場所へ移動させた。
 上空から撮影された写真では、ボストンの主要道路は数ブロックにわたって反人種主義の人々で埋め尽くされていた。ボストンの警察は、デモには推定で約4万人が参加し、傷害や警察官への不法接触、治安を乱す行為などで27人を逮捕したと発表した。群衆管理の専門訓練を受けた部隊が、2つのデモ隊が接触しないように分離して秩序の維持に当たったという。」(ボストンで4万人の反人種主義デモ、ナショナリストの集会を圧倒AFP)

 シャーロッツビルの犠牲者の母親の集会でのスピーチをふくめ、その情景は感動的ですらある。トランプ登場直後のイスラム入国禁止命令に対して膨大な人々が国際空港に詰めかけた光景は胸をうった。「アメリカ人には『正義』という言葉が生きているんだ」と思った。


 しかし、トランプの登場は、アメリカの矛盾と対立を目に見える形に押し上げ、激化させた。白人至上主義者やネオナチはトランプ支持層の一部でもある。確かにトランプ支持層はウォール街の巨大金融資本や多国籍企業によって食い物にされてきた人々ではある。だからシャーロッツビルの衝突の後に「対立すべきではない人々が対立させられている。その背景をみるべきだ」という意見もある。もっともな意見でもあるけれども衝突は激しくなるだろうと思う。
 1930年代、日本では厳しい凶作・飢饉が農村に広がったことは社会を変えようとするエネルギーの源になった。小作運動・農民運動が台頭し激しさをました。しかし一方でそのエネルギーは2.26事件としてファシズムの突出した軍事行動の背景にもなった。ドイツでも没落する中間層は共産党とナチスの間で揺れ動いた。

 トランプを登場させた人々はいまトランプに苛立ちを覚えているのではないか。ジリジリしながらお前が言ったことをやれよと言っているのではないか。

 トランプがこの支持層に擦りよる形でより白人至上主義を鮮明にさせることだってありえなくはない。またネオナチ、白人至上主義、人種主義者たちが巻き返しをかけて激しく暴力的に突出することだってありえなくはない。


 いずれにしても8.12シャーロッツビルは一つのターニングポイントになるのではないかと思える。

 もう一つ注目に値するかもしれないと思うことがある。
 いまどうやらアメリカはその建国の理念が再び揺れ始めているのではないか、ということだ。


 シャーロッツビルの衝突の発端が南軍のリー将軍像の撤去決定に抗議するファシストの一つのシンボルが南部連合の旗だった。
 南北戦争はアメリカにおける市民革命の位置を持っている。ファシストの主張は極端化するならば南北戦争の否定であり、思想的には南北戦争のやり直しと南軍勝利を求めるものにつながる。
 同時に反ファシズム運動の側でもこの間、ジョージ・ワシントンやトマス・ジェファーソンの像を公然と実力で引き倒すような動きが始まっている。トマス・ジェファ-ションは言うまでもなくアメリカ独立宣言の起草者の一人であり、彼自身は奴隷制廃止を独立宣言に盛り込もうともした。しかしそれは南部諸州の反対にあい、削除された。
「我らは以下の諸事実を自明なものと見なす.すべての人間は平等につくられている.創造主によって,生存,自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている。」と唱いあげたが、そこには先住民は含まれず、黒人奴隷も除外された。トマス・ジェファーソン自身大奴隷主だった。アメリカ建国のはじめからはらまれていた矛盾を問い直している。
 独立戦争と南北戦争。アメリカの建国の歴史的権原をなす二つの戦争とその価値観とシンボルが激しく揺れ始めている。
だいたい森有正のパスカル論(全集8巻)とフーコーの『監獄の誕生』とマルクスの『ヘーゲル法哲学批判序説』とアランの『四季をめぐる51のプロポ』と小西誠の『オキナワ島嶼戦争』を並行して読むなんて言うこと自体がどうかしている。ベンヤミンの『一方通行路』は一時期、著作集版の訳と細見和之の新訳とを1行ずつ比較しながら読んでいたが、いったん挫折してしまった。その二つがかなりかけ離れた翻訳のように思えて、原文に当たらないとダメなのかな、という黒い雲のようなものが私の気分を制圧してしまったからだ。

 昨日は電車のなかで『プロポ』の「変わりやすい太陽」の1ページくらいを、なかば妄想しながら1時間くらい読んでいた。「春分・秋分の天気は荒れる。気まぐれで騒々しいのだ。変わりやすい太陽のせいである。赤道付近は中間地点で、太陽はその地点を最高速度で通過する。まるでその地点にはいられないかのように」。この「太陽の速度」とアランがいっているのは、例えば南中時の太陽の仰角の変化率で表されることだろうが、北緯49度に位置するパリにおける、地球の公転の角速度と太陽の南中の仰角の時間的変化率の関係式を導いてみたくなる(まだやってない。明日やってみる。) 文庫版で200ページくらいのものだけど、こんな読み方をしていたらいったい何年かかるんだろうか、と思う。しかもいくつも並行してしまっているし。一時期は禁欲していたのに…

 まぁでも、それでもいいかと思っているからどうにもならない。
Twitterへの投稿。
 ”一回限りの、置き換えることができない何かが言葉になるなら、その言葉は他の何かで置き換えられないはずだ。けれども言葉が他者と了解可能であるという意味で言葉であるかぎりそれは簒奪され、置き換えられ、読み替えられ、打ちのめされうるものになる。外部への水路になることと引き換えに言葉はそこに身を晒す。”
 例えば詩人は言葉にすべてを託す。パウル・ツェランはそれを「投瓶通信」といった。
 その言葉は意味論的に、あるいは統辞論的に何らかの破れをもっている。そして日常的な言語を破るところで言葉の始まりの姿を再生しようとする。
 始まりの言葉はまだ言葉の体系の内部で定義されていなかったはずだ。詩の言葉は、既存の言葉によって定義されえない何かによって、言葉が日常的な意味で言葉ではくなる地点で言葉として蘇生する。詩の実作であったり詩論であったり、あるいは佐藤信夫のような『レトリック論』であったりする。

 けれども森の歩む道はそうではない。意味論や統辞論上の破れがあるわけではない。色彩豊かなレトリックに溢れているわけではないし、エキセントリックな用語法でもない。しかし彼は言葉を穿ちつづける。彫琢し続ける。

 それはいわば日常的に使われる言葉を、事物の側に取り戻すことと言っていいかもしれない。だからこそそこには簒奪、置換、変換の危険がまっている。いやそれを必然的に招き寄せる。
 社会という言葉が日本語にもある。ある種の日本の社会生活はあるだろう。けれども森は日本に社会を定義する経験がないという。それは社会という言葉がないということに等しい。けれども森が社会という言葉を使うとき、それは少なからぬ場合、何か別のものに簒奪されていく。フランスの文脈と日本の文脈が、フランスという組織体=bodyのなかで、森有正という場で擦れ合う中で森は日本の、つまりは自分の言葉を見つめている。そこで発せられる言葉を日本において受け取ることの危うさがある。

 片山恭一の森有正論(『どこへ向かって死ぬか』)はそうした典型のように思う。森有正について論じながら、森の言葉に即して森を読み解こうとしながら、遠く異質な世界へ進んでいってしまう。

 私はいつまでも森有正のエセー群を読めない。辿っているけれども読めない。けれども触れている触感は少しある。あるいはそれは、例えばある金属の結晶をずっと手に握りしめていても、その金属についての科学的知見を得ることはできないのと同じようなことかもしれない。しかし逆にその科学的知見は、その金属をずっと握りしめている時の感覚をもたらしはしない。何かの説明はできるにしても、その説明と手のひらが感じ取っていることとは何も関係がない。
 同じように、例えばアランの文章をどうしても読めない。言葉遣いが難しいわけではない。けれども歯がたたないくらいに思う。
 フランス語からの翻訳だからかと思った時期もあった。けれどもそうではないようだ。フランスの硬い岩盤に直結したアランの文章、言葉を日本で私が受け取ることの困難さなのではないか。ある言葉がそこにある。その言葉が帰属している組織が異なる。そういうことかもしれない。

 ひょっとすると「触覚において感知する」ような言葉というものがあるのかもしれない。手触りとしての言葉。
 そういえば私がはじめて森有正の文章に触れたのはたぶん、大学1年生(あるいは2年生?)の時だった。その瞬間のことは未だに覚えている。
 森の名前は大江健三郎のエッセーを通じて知ってはいた。けれども、だから読もうと思ったわけではない。
 そのころは大学生協の書籍部と行きつけの古本屋さんと地下鉄の駅の近くの少し大きめの書店とそこから歩いて1,2分のところの喫茶店の狭いゾーンを徘徊する毎日だった。毎日のようにその4箇所には顔を出していたと思う。
 ある時、書店で森有正の個人全集を見かけた。名前を知っていたからその中の一冊を手にとってみた。たぶん、エッセー集のどれかの巻だったと思う。キチンと読んだわけではないし、未だに読めた感じがしないのだから内容の一端に触れたからではない。けれどもその言葉が織り上げる空間に吸い込まれるような、その世界の中で自分の身体が解きほぐされていくような、そうした感覚を受けたことはかなりはっきりと覚えている。身体的な感覚に近いものだったような気がする。
 それから程なく、森の個人全集を一巻ずつ揃えていった。
 その後、いろいろな諸事情があり、もっていた本をすべて売り払ったことがある。それはある種の断絶と空白ではあるけれども、また当時持っていた本の中でどうしても手元に置きたいものを買い戻している。いまもっている森の個人全集もそうして買い戻したものだ。つまり個人全集を2回買ったことになる。なかなか…だと思う。

 あの感覚はいったいなんだったのだろう?
 いままで断続的に森を読みつづけ、個人全集を2回買ったりしたのもあの感覚の正体を知りたいからかもしれない。
 森有正の『パスカル論』(全集10巻)を読み始めた。
 硬質の、齧りついてもその歯型を残すこともできないような硬質な言葉に触れたくなったとき、触れなければいけないと思うようになったとき、森有正の文章に戻っていく。
 デカルト、パスカルについて8,9,10巻に収められている。第10巻は1943年に発表されたもの。解題によれば1937年に研究に着手した。卒論から一貫したテーマの追及であるけれども、同時にそれは盧溝橋事件=日中全面戦争=日本の全面的な中国侵略戦争の開始から日米開戦下での研究であり、執筆ということになる。
 参考文献に「日本語文献ではやはり三木清のものははずせない」と書かれているのは印象深い。
 戦時下の森の姿を私はしらない。
 ただ、当時の東大仏文科は『敗戦日記』を密かにしたためていた渡辺一夫がおり、加藤周一が出入りしていた。加藤周一の『羊の歌』(岩波新書)に当時の空気が記されている。森の姿も少し登場する。国策=戦争にたいしての批判や相対的な自由を保っていた。滝川事件があり、マルクス主義の三木清や久野収らが出た京都大学にたいしてある程度、黙認されていたのかもしれない。
 いずれにしても森有正は戦争中、どうしていたのだろうか?
 私には、森有正の言葉が、人間と事物の境界からやってくるように思える。彼の言う「経験」は単純に人間の内部に蓄積されたものでもなく、事物でもない。あえて言えば人間の内部に打ち立てられた、熟成し結晶化した事物であり、事物に刻まれた他者の精神でもある。言葉は事物となった精神ではあるけれども、それだけではない。その精神は事物が結晶化したものとしての精神でなくてはならない。
 森のことばの硬質さは、人間の自由にならない事物であることの硬質さであり、事物の不自由さが人間の自由を束縛し、同時に生みだし、言葉を生み出す。
 全集1巻の冒頭(『バビロンの流れのほとりにて』)部分。1953年に書かれた一文に、すでに森の言葉についての感覚は明瞭に現れている。森はここで戦没者の手記にふれ、そこに表れてくる感情を突き抜けた、いや感情どころか「人間」をもつき抜けた自然存在の現れに触れている。自然存在が、戦死を間近に予想している兵士の感覚と存在を透過して表れてきていることを森は感じ取っている。
 それは森が求めつづける言葉の在りようでもあるだろう。
 森はこの一文の最初に人間は、その生涯の最もはじめの日に、すでに終わりをあらわしているという趣旨のことを書いているが、思えばそれは森の生涯を、少なくともパリ移住を決断した以降の生涯を、その最初の日々においてよく捉えていたということになるのだろう。
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