忍者ブログ
since 2007 10 24  読み書き、見聞き、したもの。など。 twitter https://twitter.com/takagi_toshi
[317]  [316]  [315]  [314]  [313]  [312]  [311]  [310]  [309]  [308]  [307
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  1931年から32年にかけて、ベンヤミンに自殺の危機が迫っていたという(野村修『ベンヤミンの生涯』p159~)。

その前後の時期、彼は「ベルリン年代記」や「ベルリン幼年時代」を書いている。いま、その「幼年時代」の方をすこしずつ読んでいる。


それは記録ではなく、記憶でもない。

チェーザレ・パヴェーゼは日記をつけながら、それを読み返し、加筆していったという。そうして自己は読まれ、増殖してゆく。その「自己」は、もう自己ではなくひとつの作品であるのだろう。

ベンヤミンもまたそうしたことをしていたのだろうか。

「ベルリンの幼年時代」のベンヤミンは想起されたイメージの、その細部に入り込み、イメージに息を吹き込み、また彼もそこで呼吸する。幻想的で美しいといえば、あまりに月並みな表現だろうか。
そうした文章を断続的に書き記す。自殺の予感が漂っていたベンヤミンが、作品としての自己を突き放しつつ、保存しようとしているかのようだ。以前に高橋和巳が「書くということは、どこかで生命を削っているようなところがある」という趣旨のことを述べていたと思う。たぶん、『暗黒への出発』の中だった。そんな言葉を「ベルリンの幼年時代」のベンヤミンは思い起こさせる。

野村は1931、32年の危機を乗り越えたかのように書いている。そしてソレに続く時代が、経済的な困難と亡命という条件の中で、非常に多産だったと一言述べている。しかし、ベンヤミンには「自殺」というイメージがつきまとっていたのではないだろうか。いや、それとともにあったのではないだろうか。ベンヤミンの言葉の中には、その死が何かの彩りを与えているものがないだろうか。そのように思えてならない。書くという行為にまとわりつく、生命を削り込むような匂いは、彼にとって親しいものではなかったか。

ベンヤミンの「暴力批判論」や「破壊的性格」などにみられる激しさ、その激烈な、すべてを破壊しつくすラディカリズムは、こういうベンヤミンの姿と表裏だということはないだろうか。

のちに彼は、フランクフルト学派について次のように考えていたという。

「とりわけ、研究所(※フランクフルト社会学研究所)の多様な仕事がけっきょくは、『ブルジョア意識の批判に収斂する』こと、しかもその批判が『外側からなされるのでなく、自己批判として遂行され』ている」(野村 p179)

自己批判としてのブルジョア意識の批判。
であれば、ベンヤミンは、破壊すべきものとして「ベルリンの幼年時代」を書いたのだろうか。あるいはそうなのかもしれないと思うようになってきた。

荒ぶる神の暴力は、ブルジョア的な、したがって現存する国家の、社会の、文化のすべてを破壊する。その時、ベンヤミンは破壊し、同時に破壊される側に身をおいているといえないか。しかも破壊されるべき、自己批判されるべき自らの生きてきた世界を、彼は愛情を込めて、美しく描き出す。破壊すべきものとして? ならばきっとその破壊は徹底的でなくてはならないだろう。そしてそれは自己の存在の破壊をもはらんだものだったのかもしれない。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
01 2020/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
最新コメント
[10/15 Nobuo Hunaki]
[06/13 ETCマンツーマン英会話]
[11/29 michiyoshi]
[07/08 みずほ]
[06/29 エコミ]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
takagi toshiyuki
性別:
男性
自己紹介:
いまはぼつぼつベンヤミンの本を中心に読んでいます。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
アクセス解析
アクセス解析
フリーエリア
忍者ブログ [PR]