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『ベルリンの幼年時代』によせて。

ベンヤミンはディテールを冒険する。彼はいつも冒険家だ。カーテンの裏で、ベッドの上で、傾斜のついた机の上で。公園の歩道で、いたるところで。ディテールの中に何かの気配を感じ取る。どこか次元の異なる世界への扉が潜んでいる。軽い恐れ。しかし、彼はその世界の扉をあけてしまう。想像力の問題ではない。いや主体的な想像力の発動ではないというべきか。彼はその異なる世界に魅入られ、引きこまれてゆくようだ。
そうした文章を40歳過ぎに書いている。

過去であり、ディテールであること、それが<日常>であること。
その日常のディテールから異なる小宇宙への冒険が始まる。日常の<モノ>たちは別の相貌で働き始める。それは日常からの脱出ではあるけれども、制御された行為ではない。そのことは彼に<この世界>で生きてゆくことを困難にさせるだろう。<この世界>は、彼にとって常に<違和感>の向こう側にある。彼はカーテンの裏側に潜む何かの気配を嗅ぎつける嗅覚であり、同時にその向こう側に身を潜める子どもでもある。その子どもは、息を殺し、薄い布地をとおして向こう側の世界の気配に聞き耳をたてる。床がきしむ。誰かがやってくる。それは災かもしれない。その時、その薄い布地は、この世界とあの世界を区分する。
彼にとって世界は、つねに違和感とともにある。いや、子どもにとって、それは違和感ではないのかもしれない。世界はまだ未知なもの、不思議なものに溢れている。そして異なる小宇宙は実在そのものだ。ベンヤミンは方法的に<子ども>だったのかもしれない。

世界のディテールでの潜行と別の世界へすり抜けて行くことは、ただ空想的な何かではない。そこにある<モノ>はそこにあり続ける。視野に捉えられた世界は、視野に捉えられた世界としてそこにあり続ける。その世界が消え去るわけではない。しかし世界は変貌する。ベンヤミンのまなざしは存在論的に優越している。


革命とは、あるいはこうした世界の変貌なのかもしれない。
 
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