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  ベンヤミン。政治を文学的に語りすぎるか。


「破壊的性格」(1931年11月)という小論がある。破壊が足りないと叫んだのは、レーニンだった。「第二インターナショナルの崩壊」だったか。
ベンヤミンの言葉の中にその時のレーニンの叫びが遠くに反響しているように思えてならない。1920年代から30年代初頭のベンヤミンにとって、マルクスの思想を、その具体的な像をレーニンとその実践に見出していたのだろうか。
それにしても、政治を文学的に語るベンヤミンを、さらに文学的に理解しようとするのはやめたほうがいいかもしれない。


「左翼メランコリー」(1931年2月)。
エーリッヒ・ケストナーなどの知識人に対する痛烈な皮肉。
この時、ベンヤミンはマルクス的な立場から問題を立てているように思えるが、その批判の筆致を見ていると、ケストナーなどの立場が、根本的にはファシズムの社会的基盤に近接しているように読める。プロレタリアートでも、正真正銘のブルジョアジーでもない、没落する社会的中間層が大衆運動としてのファシズムの基盤であった。イタリア・ファシズムが旧中間層を基盤にしているのに対して、ドイツ・ファシズムは新中間層を基盤にしていると言われている。
ケストナー批判のその内容は、むしろファシズムの社会的基盤と、そこから生み出される一種の空気、気分のようなものを活写しているように思える。


【付記】
ファシズムの社会的基盤に仮に近接したところにケストナーが本当に立っていたとして、それがケストナーがファシスト的な思想の持ち主だったということを述べているのではない。
イタリアにしろドイツにしろ、その社会的中間層をどのような政治勢力が獲得するのか。それが極めて重大な政治的課題だったはずだ。1931年のこの時代、ナチスと同時にドイツ共産党も台頭してくる。このとき、ドイツの未来はいまだ決してはいない。

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