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since 2007 10 24  読み書き、見聞き、したもの。など。 twitter https://twitter.com/takagi_toshi
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1930年台はナチス、ファシズム一色に塗り込められていたわけではなかった。

【選挙結果と政治動向】
■1930年9月
 第1党 社民党 143議席(-10議席)
 第2党 ナチス 102議席(+90議席)
 第4党 共産党 77議席(+23議席)

■1032年7月
 第1党 ナチス 230議席
 第2党 社民党 133議席
 第4党 共産党 89議席

■1932年11月
 第1党 ナチス 196議席(大幅ダウン)
 第2党 社民党 121議席
 第4党(第3党?) 共産党 100議席

 ナチスだけでなく、共産党もしっかりと議席を増やしている。ナチス対共産党の構造がはっきり浮かび上がってきている。

■1933年1月 ヒトラー、首相に就任
■1933年2月27日 国会放火事件 1万人以上が逮捕。しかし…
■1933年3月5日
 ナチス、単独過半数には届かず。
 社民党 120議席を維持。
 共産党 81議席

■1933年3月23日 全権委任法


【各党派の武装力・組織力】
■共産党
 党員30万
 赤色戦線兵士同盟 10万
 赤色労働組合 30万
■社会民主党
 党員80万
 国旗団の武装組織シュホ 24年、25万→32年4月40万
 社民党系の労組400万
■ナチス
30年末 党員40万 突撃隊10万
33年1月 突撃隊200万


【アルトナの血の日曜日】
「1932年7月17日,ハンブルク市アルトナでナチス党員と共産党員の間で死者17名,負傷者
100名を越える烈しい市街戦が起きました(いわゆる「アルトナの血の日曜日事件」(Altonaer
Blutsonntag))。この「アルトナの血の日曜日事件」を口実に,7月20日に2つの共和国大統領命令が出されました。まず,「プロイセン州地域に於ける公の安全および秩序の回復に関する共和国大統領命令」(Verordnung des Reichspräsidenten, betreffend die Wiederherstellung der öffentlichen Sicherheit und Ordnung im Gebiet des Landes Preussden)」に基づき,プロイセン州首相ブラウン,プロイセン警察を掌握しているゼーフェリンク内相が罷免されました。そしてパーペン自らがプロイセン州の行政を代理執行する「共和国全権委員」(Reichskommissar)に就任しました。例として適切ではないかもしれませんが,東京の治安が守られていないとの口実で,日本の首相が東京都知事を解任し,みずから都知事になるようなことをしたのです。」
(「緊急事態条項の是非について」 飯島滋明 名古屋学院大学研究年報 第28号(2015.12)より)http://www2.ngu.ac.jp/uri/nenpo/pdf/kenkyuu_vol28_04.pdf

 確かに「アルトナの血の日曜日」は「口実にされた」。けれども当時のドイツ共産党の強力な拠点であった労働者地区のアルトナに、1万人をこえるナチス突撃隊が、武装した警官隊に守られ侵入。「激しい市街戦」ではあったが、アルトナはナチス突撃隊に蹂躙されたのではなく、労働者は自分たちの街を守り抜き、ナチスを撃退した。1932年夏の時点でドイツ労働者階級は、いまだ、それだけの戦闘力を保持していた。
 このことは銘記されて良いことだと思う。


 基本的に1930年代の半ばまで、労働者階級はナチスに制圧されたわけではなかった。情勢はナチス一色に塗り込められていたかのように描かれることが多いが、実は、この時期、ナチス対共産党の対決構造が鮮明になりつつあった。だからこそ統治能力を失ったドイツブルジョアジーはナチスに賭けるしかなかったということなのだろう。
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 そうか、君はそこにいたのか。そこでたたかっていたのか。
以下は以前に書いた『ガザ通信』のレビューへの追記です。

 ついさきほどイスラエルのガザ空爆がいったん終わった。一体何発の爆弾、しかも白燐弾が投下されたのだろう。いったい何発のミサイルが打ち込まれたのだろう。150人を超えるような死者が出ている。お腹をえぐられた子どもの写真、父の亡骸を何とも言えない表情で見つめる少女の写真… 子どもや幼児、赤ちゃんの亡骸。いったい何枚の写真をみたことだろう。大して何かができたわけではなかった。いや「たいして」どころか何一つできなかった。一発の爆弾だって減らせなかった。
 この数日間、twtter,Facebookのタイムラインは日本の総選挙の話題、福島原発の放射能汚染とその被害、集団裁判などに相半ばするほど激しくガザからの通信をおっていた。激しく軋むようなタイムラインだった。日本とガザのあまりにのギャップの大きさに自分の存在している場所のリアリティを失いそうだった。
 『ガザ通信』を何度か読み返しながらタイムラインを追っていた。ガザと呼吸を合わせようとしていた。そうしたとき、日本の政治家のあまりの言葉の軽さ、薄っぺらさに怒りがこみ上げてきた。
 『ガザ通信』はその時の現地からの生の必死の訴えだった。だからまた必死に喰らいつくようにしてその文字を追うとは正直に言って思っていなかった。けれどもそうではなかった。『ガザ通信』を読みながらタイムラインをおいかけ、リツィートしていると私のリアリティはガザの側に大きく傾いていった。大きな自分にたいする欺瞞かもしれないとも思う。けれども日本でガザの方にリアリティを感じようとしているものが多少はいてもいいだろうとも思う。

 これがレビューといえるものとは思えないけれども、今回のこのイスラエルの空爆のことをもう少し肌身に感じて知りたいと思う人がいるならば、一度は手にとって欲しいと思う。

(2012.11.22未明記 ガザではいま「勝利」の叫びがこだましている。彼らはイスラエルのパレスチナ抹殺の攻撃を、今回も跳ね返し、生き抜いた。)
 何か、胸の奥の方をじりじりとろうそくで炙っているような、どこかが焦げているような、そんな気分がする。

 なんだよ。そんなムネノオクなんか潰れてしまえばいい。そうだろ?



 Bruce Springsteen、"Nbraska"を聴く。いまごろになって初めて聴く。Jackson Browneの”Solo Acoustic"とつづけて聴くこともある。
 そうするとなぜかOrnette Coleman Trio、"Faces and Places"を聴きたくなる。
 なぜだろう? どこかでそこに「人間の声」のようなものを感じているからだろうか。

 でもいつも彼のサックスを聞くとハメルーンの笛吹きを想い出す。魔術的で魅惑的で、この世とは別の世界に行けそうな気がする。
 地上に、地底に、湖の底に、海の深いところに、「沈黙したまま」、沈黙させられたたまま、もう失われてしまた唇のその端ののぼりかけ、しかしそのまま「口に出されずに終わった言葉」が漂い続けている。アウシュビッツで、南京で… 地上の至るところで。

 ツェランは、そんなことばを体中に充満させ、破裂したのだろうか。あるいは、地に漂い続ける言葉に、体中のエーテルを吸いだされてしまったのだろうか。
 ここしばらく原発関連の本ばかり読んできました。これから技術論・科学技術論を読んでいきたいと思っています。
 私は仕事で数学や物理にちょっとだけかかわっています。その仕事の内容を3・11をへて全面的に考えなおしたいと思っています。腰を据えて3・11を見据えていく時、生活や仕事が根っこで変わらなくてはいけないように思えます。自分の仕事に大きな欠陥があるきがします。
 ヒントは一つは高木仁三郎さんが、データの改竄などを平然と行うようになってきたことにふれつつ、どこかで技術者/研究者が「モノに触れる」という感覚を失ってきた、それが技術者としての倫理の喪失となってきた、という趣旨のことを書いていました。
 この間、科学史の本を出している山本義隆氏が近代的な科学技術の確立から原子力開発に進んでくる過程で、手仕事的な技術から純粋理論の科学の優位に軸が移ってきて、そのことが国策としての推進構造を生み出してきたという趣旨のことを述べていました。
 実際に原発を食い止めてきたのは、例えば祝島の人々のように自然といったいとなりそこに足場を置いて生きている人々の力が軸だったように思います。都市住民は協力者ではあっても、主人公として原発を止めたことはいままで一度もありませんでした。
 そうしたことを踏まえながら仕事の土台、足場を掘り返し、再構築しようと思っています。抽象的でわかりにくいですね。すいません。

そこで先日、take2602さんが大学が異様な場所だったという趣旨のことをかかれておられたことが非常に気になっております。
 大きな示唆というか、ヒントをいただけそうな気がしているのです。どのような点で異様だと感じられたのでしょうか?お食事時に申し訳ありません。もしよろしければお時間がある時にでもお考えいただければ、と思います。長々と失礼致しました。(了)
早朝、自転車で走っていた。 9月の空。 美しかった。自転車を止め撮った。
 1914年21歳。ベルリンの自由学生連合議長就任時の発言。(『学生の生活』)

「時間の無限性を信じる歴史観がある。この歴史観の中では時代と人間は、緩急いずれにせよ、ひたすらに進歩の軌道を進んでゆくのであって、そこではただ、テンポの相違だけが認められている。この歴史観の現代に対する要求が、脈絡の無いものとなり、正確さと厳密さを欠いているのも当然であろう。これに反して、以下の考察は、古来多くの思想家のユートピア像にみられたように、歴史がそこに集中している一つの焦点とも言うべきある特定の状態をとらえようとする。およそ究極状態をかたちづくる諸要素は、決して抽象的な進歩の傾向として現れているものではない。極めて危険視され、排斥され、あるいは嘲笑される作品や思想として、つねに現在の底ふかく埋れているのだ。この完成の内在的な状態を、ひとつの絶対的な状態にまで純化し、現在の中で目に見える支配的なものへとかたちづくることこそ、歴史の課題である。」
(野村修『ベンヤミンの生涯』「Ⅵ章1940年の天使」より重引p219)



「『均質で空虚な時間をとおって歴史が進行するという観念』と結びついた進歩の理論に対して、ベンヤミンが提示するのは、<いま>Jetztzeitによってみたされた時間(テーゼ14)のイメージである。かれがここで用いる<いま>という観念は独自であって、それは現在が、惰性的な歴史の連続を打破して、『特定の過去の一時代と出会う局面』を意味する(テーゼA)。これは<回想>の局面にひとしい。ある過去のものについて<いま>が到来するということは、それを埋め込んでいた従来の歴史パターンが破壊されて、それが現在の中へ救出されることだが、しかし救出されるのは、ひとり過去のものにはとどまらない。このとき過去は、現在への<根源>としての渦を巻くのであって、そこに現在は解放をかいまみることになるのだ。『おのおのの現在にとって根源的な歴史との触れ合いを、可能にすること――このことこそ、歴史的唯物論の課題である。』(「エードゥアルト・フックス」)
いいかえると、『歴史的唯物論の根本概念は進歩ではなくて、現実化なのだ』(遺稿)。」
(野村修『ベンヤミンの生涯』「第Ⅵ章1940年の天使」p233)



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いまはぼつぼつベンヤミンの本を中心に読んでいます。
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