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since 2007 10 24  読み書き、見聞き、したもの。など。 twitter https://twitter.com/takagi_toshi
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 「これから来るべきいくつかの世代。そのイメージが突然僕のものになった。あたかも、今まで時間の枠にそって流れていた僕の生がその枠から離れたかのようだ。僕は経験が汲み尽くされ、明らかにされることについて考えていたのだ。それは当然、神に到るところまで僕を導いていく。その時、突然、未来の世代に自分が対面しているように感じた。そして僕自身の世代は過去の地平に決定的に固定してしまった。過去相に送り込む作業がここに完結したのである。この力動的な構造こそは聖アウグスティーヌスが永遠の今日、あるいはsempiternus hodiernus diesと呼んだものではなかろうか。いずれにしても、僕の思想は、突然、活発を帯び、遂に自由になったことを感じた。一つの経験が汲み尽くされたのち、そのことによって未来に開かれ、逆に未来が、その性質から言って、経験を過去のヴェクトルのもとに照らし出し、経験を経験として定義することになるのである。解きがたく絡みあった時の結び目に向かって自分が進んでいくことを感じ、そのことに僕は限りなく惹きつけられる。この展望にたって自分を統御すること、僕に残されているのはそれだけである」(1970年5月31日 全集14巻p149)。


 3・11以降、けたたましく時間が流れる。とても久しぶりに森の文章を読んだ。その硬質な言葉は、時に私も弾き返す。いったい、どれほど森の言葉から遠いところに来てしまっているのだろう。

 
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  1969年頃の森有正は、現在時にかかわることを政治だとして、過去相から未来へと直接の跳躍を、あるいは成熟をもとめている。時の底の底でなにごとかを紡ぎ出し、そして現在時=政治=破壊を迂回し未来へとたどりつこうとする。アリアンヌの手紙や日記にそのようなことを書き付けている。

これは、あるいは<パリ5月革命>の森有正への波及なのだろうか?

森があの5月革命にほとんど言及することなく、そして日記の記述そのものが非常に量的に減少している。私は森が直面したパリの5月を知りたかったが、その姿はなかなか浮かび上がってこなかった。あるいは森の言う現在時を回避することは、パリの5月を回避することだったのかもしれない。
もしそうなのであれば、森にとってパリ5月とはなんだったのだろう。

現在時を回避し、過去相から未来へという森の言葉そのものが強く現在時を指し示しているのかもしれない。



  私は何か、根本的に誤読してきたのだろうか。

「どうして、殆ど解決不能の問題がこうも数多く襲いかかってくるのだろう。本当にどうしてなのだろう。僕は神が存在するとさえ考えたくなった……」(森有正の1969年1月10日付けの日記 全集14巻 p39)

彼はプロテスタント、しかも改革派だった。一種の原理主義者であると思ってきた。けれども1969年、パリ5月革命をへて、彼はこのように述べていた。この思想はいつから存在していたのだろう。

***

5月革命は森有正にとってなんだったのだろうか。
日記の記載は非常に少ない。けれども、それは異様さを感じさせるほどの少なさだ。

敗戦後からサンフランシスコ条約締結くらいにかけて、森有正は少なからず政治的な状況に対して独特のスタンスから発言している。東大における学生運動やそれに対する大学の対応などについても見解を述べている。アラゴンについて述べ、共産主義について書き、フランスのド・ゴール大統領やアルジェリア問題についての発言もある。エッセーから受けるイメージとは少しことなり、森有正は決して非政治的な人物ではない。むしろ強い関心を寄せ続けていたのではないかと思う。
しかも彼は、それらを人間の経験として受け止めていた。自らに外在する出来事として捉えてはいなかった。だからこういう言葉も記されている。

「アメリカの宇宙飛行士の成功は、個人主義がもっとも発展している国においてその偉業が成し遂げられたという意味において、非常に深い意義がある。ドプチェク氏にとって何という励ましであるだろう。」(1968年12月28日 全集14巻p29)

いうまでもなく、このドプチェク氏とは当時のチェコスロバキア共産党第一書記であり、1968年「プラハの春」を代表するひとりだ。「アメリカの宇宙飛行士の成功」が、なぜドプチェクを「励ます」のかよく分からない。けれども、森自身の生きる時代の何事かとして「プラハの春」を、アメリカを見つめていたのだろう。

その彼がそのまっただなかにおかれたはずの5月革命について、語らないことが、その大きさを物語っているのかもしれない。そのようにも思える。


神はいるのかもしれない。
森がそう語るとき、あるいは、改めてそうした言葉をはっしたとき、彼に見えていたのは何だろう。
それにしても、いったい私はどこを見ていたというのだろう。


  森有正の日記を読み進める。
1968年12月28日(p30)
「自由とは真実に厳密に合致することである。恐ろしいのはその点である。真実なるものをどこに位置づけたらよいのか。そこに本源的な問題があるのである。」
この言葉はキリスト者であること、神を信じること。その別の表現なのだろうか。
私は森とまったくことなる文脈で、あるいはパースペクティブでこの言葉を受け止めているのではないか、と思える。例えば自然科学も本来はそうした内容をもつものだ。けれども森の経験はさらに異なる内容をもつように思う。

1969年1月2日(全集14巻p36)
「間接性の極致にまで行かなければならない」。
間接性? その極致? なんだろうこれは。




  いったいいつから読んでいたことか。森有正の日記(全集13巻)を読んだ。
長い中断を何度もはさみ、結局、3年がかりくらいで読んでいたのではないだろうか。とてつもなく長い旅をしたような気分だ。
しかし、ことなかば。
日記は14巻につづいている。

ということで、さて。


  森有正の日記より。

雑誌「四季」が三島由紀夫編集によるデカダンス特集号に「デカダンスと現代の本質」という題で寄稿を求めてきた。僕はこれを引き受けることはできない。その主な理由は、三島由紀夫が戦前の「日本浪漫派」の流れをくむ傾向を示しているからである。…〔中略〕…いずれにしても「文芸」の最近号で読んだ三島由紀夫の詩には僕を激昂させるものがある。(1968年2月27日 全集13巻)

三島由紀夫への言及は他にもあったと思う。しかし、森有正が三島に対して、これほど激しい言葉を投げつけているとは想像もできなかった。何が森の何に触れたのだろう。

日記の森はときどき非常に激しい、あるいは厳しい言葉を発している。その激しさには森のあり方が刻み込まれていると思う。日本にいたころに書いていた信仰にかかわる文章も、極めて鋭く、バルトの言葉を借りていえばそれこそ何ごとをかを「垂直に切断する」かのように語ることがあった。
森の日記は公開されること、読まれることを前提に書かれているように思う。全集版は私生活にかかわる部分を削除しているので、私の印象は間違っているかもしれないが、少なくとも刊行されているものからはそうした感覚を受ける。そこに書き付けたわけだ。

森有正はどこかで柔らかく、詩的で美しい文章を書くエッセイストというようなイメージで語られていることがあるように思うけれども、全く間違っていると思う。


  明晰さ。
「明晰さとは、明るさの限界を知り、いさぎよく闇を引き受け、前進しようとすることを一切抛棄することにある。そうとすれば、悲劇的でも劇的でもない普通の道を辿ってゆくだけである。なぜなら悲劇は常にそこにあるのだから。ことさらに悲劇を生きようとするものは、それを失うであろう。これが冒険に乗り出すものすべての宿命である。我々は深淵にかこまれているのだ。目を閉じてみさえすればよい。そこには、まごうかたなく自分の運命が見えるであろう。」(全集13巻 403ページ 1968年1月8日)

目を閉じてみさえすればよい。森はそういう。
けれども、なかなか生身の人間は恐ろしくてしっかりと目を閉じることができない。


この時期、彼はユングを読んでいる。そして闇と光と運命と行為と、そして勇気について述べている。
勇気…
哲学者からこの言葉を聴くことは珍しい。森にとっての思想とは生きることそのものだった。だから勇気という言葉が出てくるのかも知れない。



  「夜はバッハの音楽を聞いた。二重協奏曲、ピアノ協奏曲、それに『マグニフィカート』、音楽は常に僕をしかるべき場所に置き直してくれる。つまり、自分の真に実在的な状況との関係において、僕が居るべきところに連れ戻すのである。常に自分自身にあわせて自らを計ること。しかし、ここで言う自分自身とは、人が自分のものだと想像しているそれとは異なるのである。一種の自動的な動きがあって、深まりつつ、尚一層透明になって罷まないのである。従って、更に濃密に、更に強烈になること。」(森有正『日記』1967年12月1日 全集13巻p298)

「これが神なき現代世界の深い意味である。それはnoch nicht(まだない)の時代なのであって、単なるnicht(ない)の時代ではない。問題の根柢は第二次世界大戦であって、そこから今一度、上昇しなければならないと思うが、その場合、逆の方向に、すなわち言葉から出発して定義に到るのではなく、言葉以前の定義から最終的な言葉に到る方向に進まなければならない、と思うのである。この論理は生きられなければならないのだ。『フルトヴェングラー』ではこの問題を徹底的に追求しなくてはならない。」(森有正『日記』1967年12月4日 全集13巻p300)

定義、言葉、生きること、自分であること。
その世界と自己の、二分法ではない境界のほとりに森は立ち尽くしている。その時、森有正という一個の存在は、存在であると同時に無であり、無であるから世界となるのだろうか。
立ち尽くしていると書いた。けれども森は決して静態的ではない。存在と無とを並べるとサルトルのようになってしまうが、森の立っている位置はやはり少し異なるように思う。サルトルがその<世界>の側に侵入するその自己の動きによって動的であったとすれば、森はそこに立ち尽くすことで<動的>であったような気がする。だからその<動>は成熟の時間を客観的に要求するのかもしれない。

上記の日記のすぐ前に学生のストライキのことが出てくる。
1967年12月。ストラスブール大学ではすでに前哨戦が始まっている。パリ5月革命前夜だ。けれども森はやはり同じところに立ち尽くしている。

  1965年3月30日。森有正はこう書いた。
 「家中に光が充ちている。雀の囀りが聞こえる。いま、午前十時である」。そしてその3日後。「苛酷な紺碧が頭上にある。冬の間は雲に覆われた暗い空が生の苛酷さを隠していたのだが、それは情け容赦もなく明るく晴れ渡ってしまった。春の光が照り始めた、そののっけから僕は自然との真の接触を感じていた。…(中略)…星をちりばめた天空の広大無限を前にしてパスカルが怖け、震えたのもその為である。それは沈黙をまもる自然に恐れを抱いたのではない。凡ゆる外物を仮借なく剥ぎとった我々自体に恐怖を覚えたのである。凡ては、そこから始まらなければならない。」(全集13巻p256)

 日記の記載だ。森は何を見たのか。
 森の内部に極めて大きな過剰なものを感じる。エッセーなどに現れているのは、そのごく一部のように思う。それは単純に公表されたものだから、というわけでもない。もう少し違うような気がする。日記に見られる森有正も、また、森有正そのものではないような気がする。両方とも森有正そのものなのだと思う。そして両方とも森有正とは遠く離れているのだとも思う。

 言葉は、言葉であることによって外部的な存在でしかあり得ない。けれども、言葉があることによって初めて外部ではない、内部的な何かが分泌されるようにして生み出されるのではないかと思う。こうやって文章を書いていると、書いている私は、言葉にとっていったい何かと思う。ときおり、いや、何ものでもないのだという声が聞こえるような気がする。何ものでもない、何ものでもあり得ないのだと言う声が、声ならぬ声が、言葉にならないままに響く気がする。
 言葉によって構造が生まれる。言葉が構造の産物である、あるいは構造そのものであるとして、言葉は私に先立って存在しているとして、しかしまだ私ではない<私>は言葉に先立って存在した。言葉が存在的に優越するとして、私は存在論的存在なのかも知れない。
 そう感じるとき、私は何者でもあり得ないのではないかと思う。丸山圭三郎が最晩年に垣間見ていた何ものかは、そうした境界ではなかっただろうか。

 森は、その言葉に自分を託した。託すことによって彼の過剰が分泌したのではないだろうか。だから日記の変位の大きな彼とエッセーの行きつ戻りつしながらも、大きく一つの流れを作っていく彼とは、その両方が彼であり、また、彼ではないのではないか。
 森を読むことは、変位と定位、振動と定常とを、分裂しながら抱え込むことなのかも知れない。統一した森有正などどこにも存在しない。存在しないものを仮構し、その仮構に焦点距離を求めることは、本当は森有正を読むことではないのかも知れない。彼はそうした物語としての存在を拒否したところに立っているのかも知れない。

 ★『森有正先生のこと』(栃折久美子 筑摩書房)読了
 生身の森有正のことが分かる。
 想像からはみ出した部分はない。けれども、それは森有正が私の想像していたとおりと言うよりも、おそらく「言葉で描き出す」と言うことの限界なのだろうと思う。
 かつて全集で『バビロンの流れのほとりにて』などを読んでいるときは「静謐」「孤独」という言葉が浮かんでいた。筑摩の『森有正エッセー集成』を読んでいるときには少し像が変わってきた。もっとある種のどろどろしたエネルギーのようなものが根っこにあると思えてきた。そう思ったのは、家族のことがほとんど触れられていないからだった。それはあえて触れないという風情だった。そこに生身の森有正の存在を感じとっていた。

 栃折久美子氏が『森有正先生のこと』という本を書いていることは知ってはいた。けれども読もうとは思わなかった。
ネット上で散見される森への言及にも腑に落ちるものがなかった。村上春樹に関するものしても、これまで読んで良かったと思ったものは川本三郎と三浦雅士の文章の一部に限られていた。自分が好んで読むものについての評論は敬遠するようになった。例外があるとすれば大岡昇平の『中原中也』くらいのものだろうか。

 栃折久美子氏の本についてのアマゾンでのレビューを読んでいるとタマにはこういうものも良いかも知れないと思った。評論でもないし。
 一気に読み通した。

 面白いよね、森有正は。
 けれども森有正を時間をかけて読み込もうと思っている人は、どうだろうね。読まなくても良いのではないかな?研究しようとしている人なら良いかも知れないね。知らない事実は当然書かれているから。けれどもそれは<森有正を読む>ことにおいてどういう意味をもつのだろうか、もちうるのだろうか、と率直に思う。あえて読むべきものというわけではないな、と。

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