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 ケン・ローチの『大地と自由』(Land and Freedom)を観て、ジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』を読み始めた。ずいぶん昔、読んだきりになっていた。
 ケン・ローチはこの『カタロニア讃歌』から強い影響を受けて映画をとったのかもしれない。同じようなエピソードがいたるところに出てくる。政治的立場も極めて近接している。
 オーウェルの『カタロニア讃歌』はいまどれほど読まれているのだろうか。かなり長くなるけれども、私にとってとても印象的なところを引用し、書き留めておきたい。
 これは1936年12月下旬のことだった。それから7ヶ月もたたない今、これを書いているのだが、もうすでに、ひどく遠い彼方へと後退してしまった時期である。のちの出来事が、1935年(イタリアの味シニア侵略)や1905年(ロシア革命)を抹殺してしまったよりもはるかに完全に、この時期を消し去ってしまったのである。新聞記事でも書くつもりでスペインへやって来たのだが、到着するやほとんどその場で民兵組織に入隊してしまった。当時のあの雰囲気では、それしか考えられないように思われたからである。まだアナキストが、実質的にカタロニアを支配下においており、革命もなお高揚期にあった。当初からその場に居合わせた人々には、12月か1月に、早くも革命が終わりつつあるように見えたことだろう。だがイギリスからまっすぐやってきたものにとって、バルセロナの様相は、驚くべき、圧倒的なものだった。労働者階級が権力を掌握する町にきたのは、ぼくにはこれがはじめてだった。かなり大きな建物は、まずまちがいなく労働者に占拠され、赤旗もしくは赤と黒のアナキストの旗がかかっていた。壁という壁にはハンマーと鎌、それに革命諸政党の頭文字が落書きされていた。…(中略)…給仕人も店員も、客の顔から視線をそらすことはせず、対等な人間として接していた。卑屈な、さらには儀礼的な言いまわしまで一時は聞かれなくなった。「セニョール(旦那様)」や「ドン(上様)」や「ウステー(あなたさま)」さえ使われなくなった。たがいに相手を「同志」とか「おまえ」と呼び、「ブエノス・ディアス(こんにちは)」の代わりに「サルード(ハロー)」と言った。とにかくぼくの最初の経験といえば、エレベーター・ボーイにチップをやろうとしてホテルの支配人から説教されたことだった。…(中略)…だが何より奇妙だったのは行きかう群衆の様子だった。外からみたかぎり、ここには富裕な階級が事実上存在しなくなった町だった。少数の女性や外国人を除けば、「身なりのよい」人はいなかった。ほとんど誰もが粗末な労働者用の服か民兵の制服の青い仕事着か、それらしいものを着ていた。こうしたことはすべて異様で、かつ感動的だった。そこにはぼくに理解できないこと、何となく好きになれないことさえあったが、たちまちぼくは、この事態が戦って守るに値するものだとさとった。…(中略)…
 こうしたことすべてとならんで、戦争のかもしだす険悪な雰囲気もいくらか感じられた。…(中略)…それでも判断できるかぎり、人々は満足し、希望にみちていた。失業はなく、生活費もまだきわめて低かった。目立って貧乏な人はごく少なかったし、ジプシーのほかには物乞いもいなかった。何よりもまず革命と未来にたいする信念があり、平等と自由の時代に突入したのだという感慨があった。人間は資本主義の機械の歯車としてではなく、人間として生きようとしていた。床屋の店には、床屋がもはや奴隷ではないことおごそかに宣言するアナキストのビラがあった。
(ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』岩波文庫 p15~18)
 アラゴン戦線では1937年6月ころまで民兵制度には本質的な変化は生じなかった。労働組合に基礎をおき、それぞれほぼ同じ政治意見をもつ人々からなる労働者民兵部隊は、国内のいちばん革命的な感情をすべて一か所に集める効果をもっていた。それは高い政治意識や資本主義にたいする不信がその逆のものより正常だとされる、西欧でただひとつの、かなりの規模の共同社会であり、ぼくがそこに飛び込んだのは、大なり小なり偶然によるものだった。ここアラゴンの高地では、周りにいる数万人の人々の、全部ではないが主要な部分が労働者階級の出身であり、すべて同じ生活水準を分けあい、平等の関係で交わりあう。理論上は完全な平等であり、実際上もそれから遠くはなかった。社会主義の前触れを経験している、いいかえればそこで支配する精神的な雰囲気は社会主義のそれであると言っても過言ではなかった。そこでは文明生活の通常の動機―下に威張る俗物根性、むき出しの金銭欲、ボスを恐れる卑屈な態度など―の多くが消えてなくなっていた。社会の普通の階級差別も、金でよごれたイギリスの空気の中ではほとんど考えられない程度にまで消えていた。…(中略)…当時どれほど悪態をついたにしても、あとになってみれば、自分の接触したものが貴重なものであったことがわかるのだ。その共同社会では、無関心やシニシズムよりも希望が当たりまえであり、「同志」という言葉は同志愛をあらわして、多くの国でのようにごまかしを意味するのではなかった。ここで人々は平等の空気を吸ったのである。社会主義は平等とは関係がないというのが当世風であることをぼくはよく承知している。世界のどこの国でも正当の御用雑文屋や口先のうまい、けちな教授先生が大ぜい寄ってたかって、社会主義とは、食欲の動機はそのままにした計画的国家資本主義にほかならないことを「証明」しようと大わらわである。だが幸いにもこれとは全く違った社会主義のヴィジョンも存在している。普通の人々を社会主義にひきつけ、すすんで体を張るようにさせる社会主義の「秘法」は、平等の理念である。大多数の人々にとって社会主義は無階級社会を意味するか、さもなければ全く無意味なものである。まずこの点で、民兵組織の中で過ごした数ヶ月は、ぼくにとって貴重だった。スペインの民兵組織は、それがつづいたあいだは、無階級社会の小宇宙と言ってよいものだった。この共同社会では、金もうけをしようとするものもなく、ものは不足しているが特権もこびへつらいもない。そこに生きる人々は、社会主義の幕あけの舞台がどのようなものであるか、大ざっぱな推察ができたことであろう。しかも結局のところ、この社会はぼくに幻滅を与えることなく、深くぼくの心を捉えたのである。
…(中略)…
それが実際に起きているあいだは、ひどいものだったが、ぼくの心がそこで草をはみ、思いをめぐらすには格好の時期である。あのときの雰囲気を伝えることができたならと思う。この書物の初めのほうの章で、いくらかでもそれを伝ええたのではないかと考えている。それはぼくの心のなかで、冬の寒さ、民兵のぼろぼろの制服、たまご型のスペイン人の顔立ち、モールス信号のような機関銃のカタカタいう発射音、尿と腐ったパンの臭い、不潔な小皿から急いでむさぼるようにのみこむ豆シチューの、ブリキ缶くさい味としっかり結びついているのだ。
 この時期全体が、不思議な精彩をはなってぼくの側を離れようとしない。ぼくは、思い出す価値もないほど些細にみえる事件をめぐって記憶のなかで生きる。ぼくはもういちどモンテ・ポセーロの退避壕のなかにいる。ベッドのかわりをしている棚状の石灰岩の上だ。ぼくの両方の肩胛骨のあいだでは若いラモンが花をぺちゃんこにつけて、いびきをかいている。あたりに渦巻く冷たい蒸気のような霧のなかをよろめきながら、不潔な塹壕をぼくは歩いている。山腹の割れ目を半分上がり、バランスを取りながら、野生のローズマリーの根を地面から引き抜こうと苦労している。頭上たかく、何発もの銃弾が無意味な歌をうたっている。
(同上 p122~125)
 そしてジョージ・オーウェルは115日間前線で戦い、部隊の交替でバルセロナに戻る。
 その帰路の列車の中の情景を記している。
 汽車はバルバストロを出発したときにはすでに民兵で満員だったが、途中の駅にとまるたびにつぎつぎと農民たちが乗りこんできた。彼らがもちこんだのは束ねた野菜、逆さまにぶら下げられ脅えきった鶏たち。ナワでくくった袋が通路じゅうをのたうちまわり、そのなかに生きた兎が一羽いることがばれてしまう。とうとうかなりの数の羊の群れがコンパートメントに追いこまれ、あいたスペースに割りこんだ。民兵たちは革命歌を大声で歌い、列車の振動音もかき消されるほどだった。沿線にみえるかわいい少女の一人ひとりに投げキスをしたり、赤や黒のハンカチを振ったりした。ワインや、アニス酒というあまり上品でないアラゴン産のリキュールのビンが何本も手から手へ渡って行った。山羊の皮でできたスペイン独特の水筒を使うと、客車の一方の側から反対側にいる友だちの口へ噴きでるワインを注ぎこむことができ、それで手渡す面倒がはぶける。ぼくの横では、黒い眼をした15歳の少年が、前線で彼がたてた手柄話を、二人の年とった、なめし革のような顔をした農民にくわしく話しており、二人の農民はぽかんと口をあけて聞いていた。センセーショナルだがまったくでたらめの手柄話であることはまちがいない。やがて農民は包をとき、ねばりのある色の濃い赤ワインをくれた。だれもがいたって幸福だった。ぼくの言葉では伝えられないほど幸福だった。
(同上 p128~129)
 そしてオーウェルはバルセロナに着く。1937年4月26日、午後3時。それはバルセロナの5月事件の直前の事だった。
 バルセロナに戻ったオーウェルはその変貌ぶりに驚く。革命の拠点だったバルセロナは階級社会に戻り、ブルジョアはブルジョアとして立ちふるまい、人々は再び卑屈な生活が強要されるようになってしまっている。人民戦線の主導権を握りつつある共産党・PSUCがアナキストやPOUM(マルクス主義統一労働者党)への弾圧を開始。POUMはフランコやファシストと通じているとでっち上げられ非合法化。そして書記長のアンドレウ・ニンは拘束され、その後、バラバラ死体で発見される。
 スペイン革命は、フランコに押しつぶされるのではなく、その前にスターリン、スペイン共産党によって叩きのめされた。それは労働者は農民のもつもっとも根源的な力の破壊であり、フランコの反乱軍を押し返す力を失うことも意味したのだと思う。
 オーウェルはその決定的な時期に、決定的な場所にいあわせた。実際、バルセロナの市街戦にPOUM側で加わっている。
 「だれもがいたって幸福だった。ぼくの言葉では伝えられないほど幸福だった。」
 そうオーウェルが書いたとき、彼は泣いていたかもしれない。彼のもっとも大切な「戦って守るに値する」ものがフランコにではなく、同志であるはずだった者たちによって潰滅させられていく。イギリスもアメリカも何もしない。共産党のプロパガンダによってその圧倒的な光を放っていた革命が、踏みつけにされ、かき消されていく。そのことに誰も見向きもしない。その悔しさに全身を震わせているようなオーウェルの姿がそこにあるような気がする。
 ケン・ローチの『大地と自由』では農村での激しい議論のシーンをとおし、農民たちが農業の共同生産化に向かうすがた、つまりはスペインの革命の姿そのものを描き出し、それに対立する共産党員の発言を浮き上がらせている。
 さらに主人公は、愛する女性同志を侮辱する人民軍の姿に、自らのイギリス共産党の党員証を破り捨て、再びPOUM指揮下の民兵組織に赴く。しかしそこで民兵組織の破壊とPOUMの非合法化の瞬間が訪れる。民兵組織の武装解除と解体、POUMメンバーの拘束にきたものたちを「スターリニスト」と激しく弾劾、批判。
 この激しさがローチの映画のなかでなぜかこの『大地と自由』が日本で手に入らない理由なのかもしれない。
 ローチの映画はカタロニアに、そしてスペイン革命にオマージュを捧げたオーウェルへのオマージュだったのかもしれない。
 イギリスに戻って『カタロニア讃歌』を書き、スペインの真実の姿を訴えるオーウェルは、その7年後、1944年のポーランド・ワルシャワでの反ナチスの蜂起(ワルシャワ蜂起)にたいして、イギリスでほとんどたった一人で論陣を張る。
 スターリンのソ連はワルシャワ蜂起を見殺した。ソ連軍はポーランド国境で軍を止め、ワルシャワの蜂起がナチスによって潰滅させられるのをまってポーランド内に入った。そして自分たちこそが解放軍だと立ち振る舞った。
 そうしたソ連・スターリンにたいしてイギリス政府のみならず、新聞も言論人も知識人も沈黙し、あるいはソ連の立場を擁護した。その姿をオーウェルは、激しく弾劾する。
 その時、オーウェルの心はアラゴン戦線に立ち戻っていたのかもしれない。
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大地と自由、カタロニア賛歌
突然すみません。大地と自由をヤフオクでやっと手に入れて、見てみたら、まさしくカタロニア賛歌だったので、そのことに言及している人を探したら、ここに来ました。
日本の世界史教科書では、人民戦線戦術の「正の側面」であるフランス人民戦線や中国の民族統一戦線ばかりが挙げられ、それがスペイン人民の「革命戦争」を「非革命的内戦」に押しとどめたことについてほとんど言及がないです。東寺のソ連のアナキスト嫌い・トロツキスト嫌いは尋常のレベルではなかったので、例え「人民戦線戦術」でなくても、ソ連が介入した時点で、POUMやCNTの運命は決まったと言えるでしょう。
オーウェルが、革命の継続として書き綴ったのが「カタロニア賛歌」だったとすれば、この「大地と自由」も、その闘いの意義をつなぐ願いの下に作られたと行っていいのではないでしょうか。死んだ主人公の孫娘は、最後に生き残った反ファシストの老人たちの横で拳を上げて
主人公を見送るのです。彼女は晴れやか、と言っていい表情であり、「みなが勝利する闘いをやろう」という詩を参列者に紹介します。
ケンローチは、革命的な人たちをきちんと見据えつつ、その様々な局面や矛盾を丁寧に、言い訳せずに見せてくれます。例えば、フランコ軍の兵士が、村人を人質にして反ファシスト兵の包囲を逃れようとしたときのシーン。いくら指揮者が射撃を止めようとしても、兵たちは構わずに人質もろともフランコ軍兵士を撃ってしまいます。そのような「めちゃくちゃな」側面を隠さずに写しています。

実際、反フランコのアナキストのやり方にはむちゃくちゃなところがあったことは、オーウェルも書いています(立派なフランコ軍の軍馬を手に入れたのに、こき使ってやがてぼろぼろの馬にしてしまう・・・)し、ドゥルティ軍団のことを好意的に綴る「スペインの短い夏」(エンツェンスベルガー)さえも、アナキストが人殺しを簡単にしてしまうことに触れています。
これでは、スペイン内戦には勝ち抜けない、と誰もが思うとともに、その内戦を勝ち抜く人民の力は、革命戦争という根拠があったからでその牙を抜いてしまえば、人民の闘いは崩壊する、というのもそうなんだろうと、思います。その揺れ動きが大地と自由の主人公デヴィッドの矛盾した行動に見られることも、ケンローチは正直に描いています。
 ともあれ、重要な作品を見た、と思います。
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