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 山本義隆の『磁力と重力の発見』3を読みながら、G・バシュラールの『空間の詩学』(ちくま学芸文庫)をぼつぼつと読んでいる。哲学的序論をいったん読み終えたが、再読することにした。
 粗い手応えはある。けれども、バシュラールのこの序論は、精読されるべきものだ。
 彼の言葉が、私の内部にある微妙な陰影を投げかける。このまま読み進めても良いのかもしれないし、普通なら、最後までよんで再読すればいいと思っただろうと思う。粗い手触りをそのままに、発酵と腐食の過程にまかせただろと思う。
 けれど、序論の最後Ⅸ節を読んで考えをあらためた。何か満たされるものがあった。少し長いが引用する。


「私はたいへん単純なイメージ、幸福な空間のイメージを検討するつもりである。この方向の私の調査はトポフィリ(場所への愛)の名がふさわしい。この調査の意図は、所有している空間、敵の力にたいしてまもられた空間、愛する空間の人間的価値を決定することである。理由はしばしばことなってもおり、また詩的陰影にともない違いもあるが、この空間はほめたたえられた空間である。現実的価値ともいえる保護の価値にはまた想像の価値が結びつき、そしてこの価値がただちに支配的価値になる。想像力によって把握された空間は、いつまでも幾何学者や測定の考察にゆだねられる無関心な空間でありえない。それはいきられる。そしてこの空間は、現実にではなく、想像力の特別の偏愛をうけながらいきられるのだ。」(p36~37)


 この一節を読んで、私はそうしようと思った。それに値すると思った。シンプルにそう思った。そしてあらためてメモを取りながら読むことにする。メモはランダムだけれど。


★ルネ・ユイグは、アルビにおけるジョルジュ・ルオー展のために、美しい序をかいている。「ルオーは境界のどの地点を爆破するのか、これをさぐるには、……やや旧式なことばをおもいおこさなければならないだろう、それはたましいとよばれることばだ」。(序論Ⅱp14)


★イメージはわれわれのことばの新しい存在となる。イメージは、そのイメージが表現するものにわれわれをかえ、これによってわれわれを表現するのだ。いいかえれば、それは表現の生成であり、またわれわれの存在の生成である。ここでは、表現が存在を創造する。(序論Ⅲ p19)

 ここでバシュラールは心理学と精神分析学を排除する。詩的イメージを因果律から解放する。
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