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 チビチリガマが破壊された。複数の人間によるものだそうだ。一人では無理、と。

 三上智恵さんの映像レポートの中で知花さんは淡々と説明していた。撮影用のライトをもってガマの中に入っていたが、その光が届かない奥深さがあった。そしてそこにも侵入者は入っていっただろうということだった。

 ガマにあったビンやカメが割られていた。
 人の歯が落ちていた。
 入口にあった「平和」と大書されたものも壊されていた。

 たぶん、夜中に、誰かが連れ立ってガマに入る。集団自決のその場所に入る。ガマはライトをかざしながらもなお暗いところを抱え込む。自分の後ろには光は届かない。ガマがくまなく照らし出されることはない。
 その光が届かない深い闇に包囲されながら彼ら・彼女らは侵入し、侵犯し、破壊行為を行う。彼・彼女らはその深い闇に目を凝らすことはなかったのか。後ろを振り向いたりしなかったのだろうか。目の前の光の中に浮かび上がったものをただ破壊していったのだろうか。

 破壊したビンやカメにそこにいた人たちを想起させなかったのだろうか。入口に書かれた文字に人間を見なかったのだろうか。ビンはただのビンだったのだろうか。「平和」と書かれた文字はただの黒い文様に過ぎなかったのだろうか。
 あるいは、彼ら・彼女らは、そこに人がいたら人を破壊しただろうか。瀕死の人がいたらとどめを刺しただろうか。

 わからない。

 失われたのはそこにあるモノに人間を透視する想像力だったのだろうか。それともそこに人間を見ながら、彼ら・彼女らの敵を破壊し、殲滅したのだろうか。

 2014年ガザ侵攻時だったか。夜のイスラエル軍の激しい空爆がガザの上空に光る。それをビールのジョッキを片手に指差し、笑い声を上げながら見物していたイスラエル人の青年たちの姿があった。
 南京で切り落とした中国人の首をぶら下げて微笑む皇国ニッポンの兵士の写真。
 国会で薄ら笑いを浮かべ答弁に立つ安倍首相の顔がそこに重なる。

 その荒廃は恢復しうるものなのだろうか。

 先日の夜、居酒屋の前で同僚を待っている5,6人の勤め人がいた。その同僚が上手く発音できない音があることを楽しげに笑っていた。その笑いが彼らの間で共有され、親密さを作り出していた。その人がいないことをいいことに。そしてたぶん、本人がきたら何もなかったように、普通に談笑するのだろう。その談笑が恐ろしくてならない。
 よくありがちな光景ではある。
 彼らが例えば「チョーセンジンが…」とか「シナ人が…」と言っていてもなんの不思議もない。そんな空気感。

 いたたまれない。そしてふと自分も同じことをしているのではないか、と恐ろしくなる。あるいは、もしそうした言葉が飛び出していたら、私は止めに入れただろうか、と思う。


 祖父のこと。二度の徴兵、7年間の中国戦線での従軍、そして二等兵から曹長への昇進。少しは「武勲」があったのだろうか? あったとしたらいったいどのような?
 彼は戦時中のことをしゃべらないまま亡くなった。私も自分から聞こうとはしなかった。語りたくないことがらだったのかもしれない。
 幾人かの中国人を殺したのだろうか? もっと多かったのだろうか? あの首をぶら下げて笑っている皇軍兵士は祖父そのものだったのかもしれない。ほんの僅かな偶然で、私は生まれず、私ではない中国の誰かがいまこの世に生きていたのかもしれない。生命の流れを幾筋も途絶えさせたのかもしれない。少なくともその仕組を動かす中に祖父はいた。そのことは祖父の中に語りえない世界を生み出したのではないかとは思う。

 戦争は人間を荒廃させる。そして荒廃した人間が戦争を加速させる。
 1923年の関東大震災と朝鮮人虐殺は極めて大きなことだっただろうと思う。あの時、首都圏一円で日本人は「朝鮮人」とみなした人々を敵として殺した。その8年後には中国東北部への侵略が始まる。そして南京につながる。23年9月1日は日本人の中にも極めて重大な傷を残したのだと思う。国内で「朝鮮人」とみなした人々を殺して、中国への侵略と戦争、南京での虐殺、人体実験…はその直接の延長線上に当然のように起こるのではないかと思う。

 安倍、麻生、小池などをはじめ、政府の中枢から、社会のあちらこちらにいたるまで、戦前、戦中からいまにいたるまで続く清算されないものが、より大きくなって顔を出していることを身体で感じる。
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 8月12日、シャーロッツビルでファシスト(ネオナチ、白人至上主義者、人種主義者を含む)が抗議する人々の中に車で突っ込み、女性一人を轢き殺した。
 今年4月、シャーロッツビル議会が独立戦争時の南軍のリー将軍の像を公演から撤去することを決定。現在係争中。南北戦争時代の南軍側支持が白人至上主義と結びつく傾向が強くあるためリー将軍の像に類するようなものの撤去があちらこちらで進んでいるという。
 そしてこうした流れに対して、「白人至上主義者の側には「自分たちの象徴が潰されようとしている」ものと映る。実際シャーロッツビルでも先月すでに人種差別団体KKK(クー・クラックス・クラン)が抗議のデモを行うという動きがあったが、しかしこのときの参加者は30名ほどにとどまり、抗議のために集まったカウンター約1000人に圧倒される結果となった(なおKKKは白の頭巾を被った姿に象徴されるようにそもそも素性を隠して活動することが基本で、こうした形でデモを行うということはそもそも珍しい)」(アメリカ・シャーロッツビルに白人至上主義者が集結 その背景と経緯、そして今後 明戸隆浩)

 そこで白人至上主義者が全米に呼びかけるファシスト大衆運動の登場となった。

 それ以降、大統領ドナルド・トランプが発言を二転三転させるなか、彼が組織した二つの諮問機関が辞任、解散。危機に直面する中でバノンの解任に進んできている。


 三つの焦点がある。

 一つは共和党内部や財界からも強い非難が突きつけられるなかスティーブン・バノン首席戦略官兼大統領上級顧問を8月18日付で解任。トランプ大統領の政権の崩壊の可能性が浮かび上がってきていること。

 もう一つはファシズムとそれに対する抵抗運動の動き。
「【8月20日 AFP】米北東部マサチューセッツ(Massachusetts)州ボストン(Boston)で19日、白人のナショナリストらが集会を開いた。これに対抗して警察の推定で4万人に上る反人種差別主義者のデモ隊が通りを埋め尽くし、ナショナリストの集会を圧倒した。」
「極右グループによるいわゆる「フリー・スピーチ(言論の自由)」集会はボストンで19日午後2時(日本時間20日午前3時)まで行われる予定だったが、終了予定時刻の30分前には警察官らが数十人程度とみられる同集会の参加者に付き添って、反人種差別主義デモ参加者の大群衆を抜けて安全な場所へ移動させた。
 上空から撮影された写真では、ボストンの主要道路は数ブロックにわたって反人種主義の人々で埋め尽くされていた。ボストンの警察は、デモには推定で約4万人が参加し、傷害や警察官への不法接触、治安を乱す行為などで27人を逮捕したと発表した。群衆管理の専門訓練を受けた部隊が、2つのデモ隊が接触しないように分離して秩序の維持に当たったという。」(ボストンで4万人の反人種主義デモ、ナショナリストの集会を圧倒AFP)

 シャーロッツビルの犠牲者の母親の集会でのスピーチをふくめ、その情景は感動的ですらある。トランプ登場直後のイスラム入国禁止命令に対して膨大な人々が国際空港に詰めかけた光景は胸をうった。「アメリカ人には『正義』という言葉が生きているんだ」と思った。


 しかし、トランプの登場は、アメリカの矛盾と対立を目に見える形に押し上げ、激化させた。白人至上主義者やネオナチはトランプ支持層の一部でもある。確かにトランプ支持層はウォール街の巨大金融資本や多国籍企業によって食い物にされてきた人々ではある。だからシャーロッツビルの衝突の後に「対立すべきではない人々が対立させられている。その背景をみるべきだ」という意見もある。もっともな意見でもあるけれども衝突は激しくなるだろうと思う。
 1930年代、日本では厳しい凶作・飢饉が農村に広がったことは社会を変えようとするエネルギーの源になった。小作運動・農民運動が台頭し激しさをました。しかし一方でそのエネルギーは2.26事件としてファシズムの突出した軍事行動の背景にもなった。ドイツでも没落する中間層は共産党とナチスの間で揺れ動いた。

 トランプを登場させた人々はいまトランプに苛立ちを覚えているのではないか。ジリジリしながらお前が言ったことをやれよと言っているのではないか。

 トランプがこの支持層に擦りよる形でより白人至上主義を鮮明にさせることだってありえなくはない。またネオナチ、白人至上主義、人種主義者たちが巻き返しをかけて激しく暴力的に突出することだってありえなくはない。


 いずれにしても8.12シャーロッツビルは一つのターニングポイントになるのではないかと思える。

 もう一つ注目に値するかもしれないと思うことがある。
 いまどうやらアメリカはその建国の理念が再び揺れ始めているのではないか、ということだ。


 シャーロッツビルの衝突の発端が南軍のリー将軍像の撤去決定に抗議するファシストの一つのシンボルが南部連合の旗だった。
 南北戦争はアメリカにおける市民革命の位置を持っている。ファシストの主張は極端化するならば南北戦争の否定であり、思想的には南北戦争のやり直しと南軍勝利を求めるものにつながる。
 同時に反ファシズム運動の側でもこの間、ジョージ・ワシントンやトマス・ジェファーソンの像を公然と実力で引き倒すような動きが始まっている。トマス・ジェファ-ションは言うまでもなくアメリカ独立宣言の起草者の一人であり、彼自身は奴隷制廃止を独立宣言に盛り込もうともした。しかしそれは南部諸州の反対にあい、削除された。
「我らは以下の諸事実を自明なものと見なす.すべての人間は平等につくられている.創造主によって,生存,自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている。」と唱いあげたが、そこには先住民は含まれず、黒人奴隷も除外された。トマス・ジェファーソン自身大奴隷主だった。アメリカ建国のはじめからはらまれていた矛盾を問い直している。
 独立戦争と南北戦争。アメリカの建国の歴史的権原をなす二つの戦争とその価値観とシンボルが激しく揺れ始めている。
だいたい森有正のパスカル論(全集8巻)とフーコーの『監獄の誕生』とマルクスの『ヘーゲル法哲学批判序説』とアランの『四季をめぐる51のプロポ』と小西誠の『オキナワ島嶼戦争』を並行して読むなんて言うこと自体がどうかしている。ベンヤミンの『一方通行路』は一時期、著作集版の訳と細見和之の新訳とを1行ずつ比較しながら読んでいたが、いったん挫折してしまった。その二つがかなりかけ離れた翻訳のように思えて、原文に当たらないとダメなのかな、という黒い雲のようなものが私の気分を制圧してしまったからだ。

 昨日は電車のなかで『プロポ』の「変わりやすい太陽」の1ページくらいを、なかば妄想しながら1時間くらい読んでいた。「春分・秋分の天気は荒れる。気まぐれで騒々しいのだ。変わりやすい太陽のせいである。赤道付近は中間地点で、太陽はその地点を最高速度で通過する。まるでその地点にはいられないかのように」。この「太陽の速度」とアランがいっているのは、例えば南中時の太陽の仰角の変化率で表されることだろうが、北緯49度に位置するパリにおける、地球の公転の角速度と太陽の南中の仰角の時間的変化率の関係式を導いてみたくなる(まだやってない。明日やってみる。) 文庫版で200ページくらいのものだけど、こんな読み方をしていたらいったい何年かかるんだろうか、と思う。しかもいくつも並行してしまっているし。一時期は禁欲していたのに…

 まぁでも、それでもいいかと思っているからどうにもならない。
Twitterへの投稿。
 ”一回限りの、置き換えることができない何かが言葉になるなら、その言葉は他の何かで置き換えられないはずだ。けれども言葉が他者と了解可能であるという意味で言葉であるかぎりそれは簒奪され、置き換えられ、読み替えられ、打ちのめされうるものになる。外部への水路になることと引き換えに言葉はそこに身を晒す。”
 例えば詩人は言葉にすべてを託す。パウル・ツェランはそれを「投瓶通信」といった。
 その言葉は意味論的に、あるいは統辞論的に何らかの破れをもっている。そして日常的な言語を破るところで言葉の始まりの姿を再生しようとする。
 始まりの言葉はまだ言葉の体系の内部で定義されていなかったはずだ。詩の言葉は、既存の言葉によって定義されえない何かによって、言葉が日常的な意味で言葉ではくなる地点で言葉として蘇生する。詩の実作であったり詩論であったり、あるいは佐藤信夫のような『レトリック論』であったりする。

 けれども森の歩む道はそうではない。意味論や統辞論上の破れがあるわけではない。色彩豊かなレトリックに溢れているわけではないし、エキセントリックな用語法でもない。しかし彼は言葉を穿ちつづける。彫琢し続ける。

 それはいわば日常的に使われる言葉を、事物の側に取り戻すことと言っていいかもしれない。だからこそそこには簒奪、置換、変換の危険がまっている。いやそれを必然的に招き寄せる。
 社会という言葉が日本語にもある。ある種の日本の社会生活はあるだろう。けれども森は日本に社会を定義する経験がないという。それは社会という言葉がないということに等しい。けれども森が社会という言葉を使うとき、それは少なからぬ場合、何か別のものに簒奪されていく。フランスの文脈と日本の文脈が、フランスという組織体=bodyのなかで、森有正という場で擦れ合う中で森は日本の、つまりは自分の言葉を見つめている。そこで発せられる言葉を日本において受け取ることの危うさがある。

 片山恭一の森有正論(『どこへ向かって死ぬか』)はそうした典型のように思う。森有正について論じながら、森の言葉に即して森を読み解こうとしながら、遠く異質な世界へ進んでいってしまう。

 私はいつまでも森有正のエセー群を読めない。辿っているけれども読めない。けれども触れている触感は少しある。あるいはそれは、例えばある金属の結晶をずっと手に握りしめていても、その金属についての科学的知見を得ることはできないのと同じようなことかもしれない。しかし逆にその科学的知見は、その金属をずっと握りしめている時の感覚をもたらしはしない。何かの説明はできるにしても、その説明と手のひらが感じ取っていることとは何も関係がない。
 同じように、例えばアランの文章をどうしても読めない。言葉遣いが難しいわけではない。けれども歯がたたないくらいに思う。
 フランス語からの翻訳だからかと思った時期もあった。けれどもそうではないようだ。フランスの硬い岩盤に直結したアランの文章、言葉を日本で私が受け取ることの困難さなのではないか。ある言葉がそこにある。その言葉が帰属している組織が異なる。そういうことかもしれない。

 ひょっとすると「触覚において感知する」ような言葉というものがあるのかもしれない。手触りとしての言葉。
 そういえば私がはじめて森有正の文章に触れたのはたぶん、大学1年生(あるいは2年生?)の時だった。その瞬間のことは未だに覚えている。
 森の名前は大江健三郎のエッセーを通じて知ってはいた。けれども、だから読もうと思ったわけではない。
 そのころは大学生協の書籍部と行きつけの古本屋さんと地下鉄の駅の近くの少し大きめの書店とそこから歩いて1,2分のところの喫茶店の狭いゾーンを徘徊する毎日だった。毎日のようにその4箇所には顔を出していたと思う。
 ある時、書店で森有正の個人全集を見かけた。名前を知っていたからその中の一冊を手にとってみた。たぶん、エッセー集のどれかの巻だったと思う。キチンと読んだわけではないし、未だに読めた感じがしないのだから内容の一端に触れたからではない。けれどもその言葉が織り上げる空間に吸い込まれるような、その世界の中で自分の身体が解きほぐされていくような、そうした感覚を受けたことはかなりはっきりと覚えている。身体的な感覚に近いものだったような気がする。
 それから程なく、森の個人全集を一巻ずつ揃えていった。
 その後、いろいろな諸事情があり、もっていた本をすべて売り払ったことがある。それはある種の断絶と空白ではあるけれども、また当時持っていた本の中でどうしても手元に置きたいものを買い戻している。いまもっている森の個人全集もそうして買い戻したものだ。つまり個人全集を2回買ったことになる。なかなか…だと思う。

 あの感覚はいったいなんだったのだろう?
 いままで断続的に森を読みつづけ、個人全集を2回買ったりしたのもあの感覚の正体を知りたいからかもしれない。
 森有正の『パスカル論』(全集10巻)を読み始めた。
 硬質の、齧りついてもその歯型を残すこともできないような硬質な言葉に触れたくなったとき、触れなければいけないと思うようになったとき、森有正の文章に戻っていく。
 デカルト、パスカルについて8,9,10巻に収められている。第10巻は1943年に発表されたもの。解題によれば1937年に研究に着手した。卒論から一貫したテーマの追及であるけれども、同時にそれは盧溝橋事件=日中全面戦争=日本の全面的な中国侵略戦争の開始から日米開戦下での研究であり、執筆ということになる。
 参考文献に「日本語文献ではやはり三木清のものははずせない」と書かれているのは印象深い。
 戦時下の森の姿を私はしらない。
 ただ、当時の東大仏文科は『敗戦日記』を密かにしたためていた渡辺一夫がおり、加藤周一が出入りしていた。加藤周一の『羊の歌』(岩波新書)に当時の空気が記されている。森の姿も少し登場する。国策=戦争にたいしての批判や相対的な自由を保っていた。滝川事件があり、マルクス主義の三木清や久野収らが出た京都大学にたいしてある程度、黙認されていたのかもしれない。
 いずれにしても森有正は戦争中、どうしていたのだろうか?
 私には、森有正の言葉が、人間と事物の境界からやってくるように思える。彼の言う「経験」は単純に人間の内部に蓄積されたものでもなく、事物でもない。あえて言えば人間の内部に打ち立てられた、熟成し結晶化した事物であり、事物に刻まれた他者の精神でもある。言葉は事物となった精神ではあるけれども、それだけではない。その精神は事物が結晶化したものとしての精神でなくてはならない。
 森のことばの硬質さは、人間の自由にならない事物であることの硬質さであり、事物の不自由さが人間の自由を束縛し、同時に生みだし、言葉を生み出す。
 全集1巻の冒頭(『バビロンの流れのほとりにて』)部分。1953年に書かれた一文に、すでに森の言葉についての感覚は明瞭に現れている。森はここで戦没者の手記にふれ、そこに表れてくる感情を突き抜けた、いや感情どころか「人間」をもつき抜けた自然存在の現れに触れている。自然存在が、戦死を間近に予想している兵士の感覚と存在を透過して表れてきていることを森は感じ取っている。
 それは森が求めつづける言葉の在りようでもあるだろう。
 森はこの一文の最初に人間は、その生涯の最もはじめの日に、すでに終わりをあらわしているという趣旨のことを書いているが、思えばそれは森の生涯を、少なくともパリ移住を決断した以降の生涯を、その最初の日々においてよく捉えていたということになるのだろう。
 拠点が必要だ。

 言葉がどこまでも壊され、同時に崩れてもいく。砕け散るのではなく、グズグズと腐り果てていく。変容していく。
 たぶん二つに一つだ。あるいは三つか。
 対抗的な共同性とその身体から新しい言葉が立ち上がるか、あるいは言葉のまえで個別的身体を否定するのか。

 言葉しかなかったと言ったパウル・ツェランは「逆立ちするのです、足の下に青空が広がっているのです」といった。投壜通信としての言葉に、詩にすべてを託し、また託することしかなかったツェランにとって言葉の前で身体は消去されるべきものだったのかもしれない。あるいは消去することで彼は強制収容所によって切り離された母親や父親や彼の同族たちと繋がったのかもしれない。
 そしてここで私はある歌い手を思い浮かべてもいる。世界のきしみの中にだけ虚像として存在し、世界の変貌ともに消え去ったある歌い手だ。
 そうした言葉がたしかに存在する。
 もう一つ、例えば石牟礼道子のような言葉がある。
 いま沖縄からそうした新しい言葉が立ち現れてきている。いや新しい言葉ではないかもしれない。新しい何かが込められた古い言葉かもしれない。
 三上智恵はその一つの象徴になりつつあるように思える。
 沖縄の基地闘争から沖縄戦の歴史、戦後史、さらにははるかに遡る沖縄の民俗史的な土壌から言葉が生まれてくる。
 ここで身体は歴史と風土に憑依(米山リサの表現を借りれば)される身体だ。そうした身体と言葉もまた確かに存在する。
 その「確かに存在する」ということはいまのところ他の表現にできない。
 けれども、歴史的な共同性と身体に根ざした言葉はもう私には望むことができない。
 しかし演劇的空間や映画的空間などは、崩れた身体の再定義の時空でもありうるはずだ。例えば状況劇場のテントの内部はそうした世界だった。しかしそれは根本的に身体の消去のバリエーションに思える。その空間は虚構であり、虚構でありつづけようとする。
触れた指がすっと切れてしまうような言葉がある。長い時間をかけて私のどこかで熟成し、ふいに新しく姿をあらわすような言葉がある。最期の一息に託された何か、地下からある水脈をとおりある身体を介して地表に現れ出るような何か。そうした言葉もある。
 その地下水脈は、例えば500年のむかしの光景や、50年前に消失した肉体をはらみこみ流れ出す。自己と他者も、人間と自然の区別もない世界からやってくる。
 石牟礼道子の言葉はそうしてやってきた。
 そうでなければいったいだれが水俣病の人々の発することのなかった言葉を書き留められるだろうか。

 パレスチナに目を凝らしていてときどき思うことがある。
 瓦礫の下から、真っ白になって掘り出された、数時間前まで走り回っていた身体から漏れ出した最期の小さな呼気は、何かを語ったはずだ。そしてその呼気に含まれた10の16乗とか15乗とかの分子の一つは、いま吸い込んだ私の空気の中にもあるんだろう。
 そこには微かな言葉があるような気がする。


 丸山圭三郎も言っているようにソシュール自身はそうではないのだが、ソシュールの流れをくむ言語の学が言葉を殺してきたように思えてならない。
 世界を差異の体系で切り分けるとしたとき、垂直に切り込む言葉はどこに行くのだろうか。地下水脈をとおりようやく地表に表れた言葉は、最期の呼気に秘められた言葉は、学的世界の中に居場所があるのだろうか?その学は、例えば石牟礼道子という「巫女」からあらわれた水俣の言葉や、収容所の死をくぐり抜けてきたパウル・ツェランの言葉にあい対する事ができるのだろうか?
 「拍子や音は音節とともに生まれ、情念はすべての器官を語らせ、その輝きすべてをもって声を飾る。そのように詩句、歌、音声言語は共通の起源をもっている。上述の泉の周りでは、最初の弁舌は最初の歌となった。リズムの周期的で律動的な回帰、抑揚の旋律豊かな変化は、言語とともに詩と音楽を誕生させた。というよりその幸福な時代と幸福な風土ではそれらすべてが言語そのものだった。」(ルソー『言語起源論』岩波文庫p90)
 言語の起源を「科学的に論じること」になんの興味もない。けれどもこのルソーの記述はずっと私の中にとどまり、響き続けてきた。
 もうずいぶん前のことだけれども何日かロンドンに滞在する機会があった。カソリックのウェストミンスター大聖堂に2日通った。土曜日だったか日曜日だったかは「観光客用」で何も思わなかったが、平日の昼間、3時間か4時間くらい大聖堂の信徒がすわる席に座っていた。近所の八百屋のおっちゃんやおばちゃんみたいな人たちがパラパラと祈りに来ていた。ときどき神父が祈った。その祈りは歌うようだった。
 バロック音楽のまえにグレゴリア聖歌やルターらがつくった賛美歌などがあったのだと思うけれども、音楽が音楽として自立し、分離する以前に祈りの言葉は歌だったのだろうと思えた。動物園でホエザルの声をきいているとベルカント唱法か?とすら思えることがある。
 そんなことを考えていると、言語のはじまりは歌でもあったというルソーのイマジネーションは正しいものに思えてくる。

 ルソーの言語起源論の第2章のタイトルは「ことばの最初の発明は欲求に由来するのではなく、情念に由来するということ」となっている。何かを指し示すのではなく、表出するものとしての言葉があった。
 メルロ=ポンティは「沈黙する言葉」と言ったけれども、歌とも祈りともつかない表出としての言葉を「沈黙」として語らなければならなかったとすれば、そこに人間の深い退歩が、疎外の深まりがあるのかもしれない。それは言葉が壊され、簒奪され、「言葉のようにみえるなにものか」に変換され、大量に撒き散らされているたことの表現なのかもしれない。
 共謀罪は思っているよりもずっと根が深いかもしれない。

 安倍は2020年五輪のためといい、五輪めどに改憲といい始めた。ならば共謀罪は改憲阻止の運動の封じ込めのためではないか?

 もう一つ。共謀罪の前進は2004年に小泉政権で提出されたが、2005年には北海道で陸自・北部方面隊と道警との共同訓練が行われたが、これは自衛隊史上初の警察・自衛隊の治安出動の共同訓練だった。共謀罪の新設の動きと同時に自衛隊が警察と連動して治安出動の訓練を始めている。そして組織のかなり大掛かりな改変を行ってきた。
 東西冷戦体制の終焉をうけて、2000年に新『野外令』(戦中の作戦要務令にあたる)が制定され、自衛隊の任務は大きく変貌してきた。
 もともと日本列島への上陸阻止を基本にしていたが、北朝鮮の危機を煽り、それを主敵としながら、日本列島の地理的条件から特殊工作員の上陸を水際で食い止めることは難しく、部隊が内陸に侵入することを前提に、対テロ・コマンドウ戦を軸に、部隊と任務の再編成を進めてきた。実際に都市ゲリラ型の訓練施設を作り、部隊編成をコンパクト化し、本格的な自衛隊特殊部隊を創出してきた(習志野空挺団内の特殊作戦群)。

 『野外令』では、「作戦指導」の「対処要領」で、「内陸部においては、関係部外機関と連携した地域警戒部隊を配置して、検問所、巡察等の地域警戒組織を所要の地域に構成し、内陸部に浸透した敵部隊の偵知に務めるとともに、行動の抑制を図る」としている。そして『野外令』は「警備」の項目において、「敵の遊撃活動、間接侵略事態等に適切に対処して地域の秩序を早期に回復し、全般の作戦の推敲を容易にする」としている。そしてこの「間接侵略」について、「間接侵略事態の様相は、多種多様である。…その程度も非武装の軽度な様相から武装化した勢力による一般戦闘行動に準ずるような様相まで、多様な事態が予想される」と「非武装の対象」までが自衛隊の作戦行動の対象にされている。

 この『野外令』はもっぱら北朝鮮を対象にしているが、1994年くらいからアメリカは朝鮮半島での戦争を具体的に想定し作戦計画をつくってきた。
 朝鮮半島で実際に戦争が起こることを想定して、自衛隊が組織を再編し、装備を更新し、作戦計画をたて、演習を積み始めた、その同時期に共謀罪の前身が小泉政権によって提出された。
治安出動と間接侵略への出動は区別はされているが、いずれも日本国内での戦闘行動が想定されており、その敵として北朝鮮をはっきり対象にしている。その時、日本政府や自衛隊にとって、北朝鮮の軍事組織と呼応する国内勢力として在日朝鮮人とその組織を想定していることはないのか。あるいは在日と連帯し、差別や排外主義とたたかおうとする日本人もまた通敵者として想定されているのではないのか。

 そう考えてくると政府が「テロ』を叫ぶことに、政府なりの理由があることになる。日本を戦場に実際の戦闘をあるいは非武装の抵抗運動の鎮圧を考えていることになる。共謀罪は実はそうした目論見の一環なのではないか。
 ナチスの党綱領においては、体育・スポーツの義務化や体育・スポーツ諸団体への国家的援助のひつ要請が掲げられている。山本によると、その背景には、当時ドイツ軍の国防力が低下していたことがあったからではないかとみられている。 ヒトラーが教育の中で体育を重視していたことは、その著『わが闘争』のなかにみることができる。そこでは、健全な精神は健全な身体にのみ宿るのであり、民族主義国家の学校においては、身体の錬成のために多くの時間をさかなければならない、というように、身体鍛錬の重要性が強調されている。また、国家の任務として学校終了後の体育を考えなければならない、とも述べられているが、後のヒトラー・ユーゲントはこの役割を担わされたものである、と山本は考察している。

(『体育・スポーツ史概論』木村吉次)

 ナチの身体訓練を中心とした教育組織は身体を習慣化することで、本質的に青少年お衝動や関心を「操作する」制度的監視装置であった。青少年の身体的エネルギーや興味・関心は、スポーツ活動を通してナチの目標を達成するために利用差され、表面的に促進され、解放されたのである。


(『ナチズム下の子どもたち』(エーリカ・マン 田代尚弘訳 法政大学出版) 訳者解題より。一つの前の投稿から抄出。


 この二つの文章を重ね合わせるとナチスにおける体育・スポーツが、身体を媒介に管理と支配の水路とされたことは明白だ。しかもヒトラーはスポーツの中でもサッカーのような格闘技のようなものこそが大切だと考えていた。
 いま、安倍政権が「一億総スポーツ社会」をとなえ、学習指導要領に銃剣道をいれ、さらにかの教育勅語=天皇主義教育の先端を走っていた某幼稚園で園児にラグビーをさせていたのは、一つの絵図にまとまってくる。

以下はツィッターへの投稿をまとめたもの。


 これだけの問題が沸き起こっているのに安倍支持率は下がっていないらしい。グーグルとヤフーのニュースをみてみたが主要ニュースの一覧には森友学園も塚本幼稚園も出てこない。共謀罪もない。「社会」というカテゴリーを開いてもグーグルでは出ない。


 ヤフーは「国内」のタブでやっと一つ上がってくるが、産経で、森友学園問題でも民進党ブーメランが炸裂、というもの。TVが主要なニュースとして力を入れて報道しないのであれば、ひょっとするとあまり知らないという人が多いのではないか。


 堤未果のアメリカのレポートを読んでいると非常に多くの人々が新聞の購読はせず、ニュース・情報はもっぱらTVから得ているとのこと。新聞はレイアウトで工夫して重要なニュースを目立させているし、ヘッドラインは目に入る。けれどもグーグルのニュースなどではそうは行かない。


 しかもニュースのページも、自分の嗜好にあわせてカスタマイズしているし、記事もサーバー側から「これどうです?」みたいにして「おすすめ」してくる。SNSを含め、ネット情報は実は非常に制限され、限定されている気がする。個々の「好み」にあわされた情報が選ばれて流されてくる。


 大量の情報が流れすぎていてもう個人ではカバーできない。そのためどうしても取捨選択することになるが、それに応じてサーバーが動くため、個人が受け取っている情報がいっそう狭いものになっている気がする。実は私たちは非常に狭い情報空間に生きているのではないか。


 ある国立大学の医学部生にきいてみたら、自分の周りで紙媒体からニュースを得ている人はたぶんゼロだと思う、と言っていた。じゃどうするの?ときくとTVか、あとは少数のニュースに敏感な人がいて、その人から流れてくるツィッターとかで知っているくらい、とのこと。たぶん彼は少数派ではない。


 ところがそのツィッターなどのSNSは同じような指向の人たちがかたまりをつくり、カタマリ相互間ではブロックやミュートが盛んに行われている。これだけ多様なコミュニケーションのツールがあるために激しいディスコミュニケーションが、関係の切断がいたるところで生まれている。


 トランプ大統領を生み出した構造と同じようなものに、取り込まれている気がする。隠蔽されていなくても、情報の流通が極めて限定的になっていること、異なるグループごとに共有している情報がちがってしまっていること。そのためグループをこえた対話が極めて困難になっていること。


 まるでお互いに聞いたことが無い奇妙な外国を目にするようにした自分とは異なるカテゴリーの他者を眺めている気がする。そして差別的な悪罵をなげかける。民主主義の主体はこうしたバラバラにされ、主権の所在がなくなっている。安倍はそうした構造の上であぐらをかいていると思う。

 
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いまはぼつぼつベンヤミンの本を中心に読んでいます。
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