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モノから立ち上がる言葉に触れたい。それは必ずどこかにあるはずだ。たぶん、人間と世界の区別が曖昧になる、その境界あたりにあるはずだ。きっとそこでは人間が自己と他者に区分されるかどうかのそうした境界でもある。
 そこでは「私」は私でありながら、私ではない何かになる。あなたは、あなたではない何かになる。

 〈このからだそらのみじんにちらばれ〉と宮沢賢治が呟いた。
 〈このからだ〉は、構成していた有機化合物の断片になり、そしてさらに分解されていく。そしてまた、いずれその分子は何ものかの微小な構成部分になる。

 ならばそこに言葉があるはずだ。世界が空間と時間を析出する、その手前のところに佇む言葉があるはずだ。朝が朝になる前の、夜が夜でなくなる前の、そうしたところ。死ぬでもなく、生きているでもない、その境界。モノがモノでありつつ、モノではなくなるような、そうした地点。意味がまだ意味として存在しないところ。あらゆる人為的な二分法が効力を喪失するそうした場所。

 きっと何かに憑依されるべきなのだろう。モノに所有されるべきなのだろう。すでにモノとして、あるいは記憶として、その影としてだけ存在するような何者かにとり憑かれるべきなのだろう。


 もしも歴史ということに触れることができる地点があり、そこにたどり着こうとするのであれば、くぐり抜けなければならない境界がある。主体と客体が、主体と主体として並立するところの向う側にある融合するような〈瞬間〉を経験としなければ、どうして歴史に触れることができるだろう。過去と未来が現在によって区分されるままで、どうして時間を遡ることができるというのだろう。
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