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とても久しぶりに更新。


 森田恵子監督の「小さな町の小さな映画館」「旅する映写機」につづいて映画を映す人にフォーカスした『まわる映写機めぐる人生』。




 デジタル化されていない映画を映し出す人たちに会いに行くドキュメンタリー。


 DVDでみるのと映画館でみることは違うとは思っていたけど、はじめてフィルムで上映される映画を観ることはライブなんだと知った。


 隣りにいる人、前にいる人、映画館の人、その空間によって映画から感じ取ることが変わるとは思っていた。この日の上映でも始まる前に拍手が起こる。途中、笑い声があがる。映画が始まる前に拍手ってないよね、いつもは。でもこの空気は作品が醸し出したもののような気がする。映画から親密な空気が流れ出している気がする。


 もっともっと奥行きのあるものだった。フィルムの状態や映写機の調子、スクリーンの材質やお客さんの入やその音場の変化…「毎日違うんですよ」とある映写技師さんがいう。デジタル化された情報にはない「豊かさ」だろうか。


 きっとそれは、例えばピアノが弾き手によるだけでなく、温度や湿度によって、置かれている場所によっても微妙に音が変わるのと同じなんだろう。映写技師という職人さんにはそれがわかるらしい。




 ほとんどいままで記録されてこなかった映画を上映する人たちの歴史でもあった。戦争があり、戦意高揚の映画や「マー坊」という「少国民」を育てるアニメーションもあった。広島・長崎にこだわり映画を上映し続ける人がいる。それが眼の前のスクリーンの中で肉声で語られる。


 後半は地域で映画の上映会をずっとやり続けている人たちを追う。20年、30年継続している人たちもいれば新しくはじめた学生のグループもいる。2020年東京オリンピックや「世界に冠たるニッポン」みたいなことが声高に叫ばれる空気が上空を激しく流れているけれども、地面にはちゃんとしたものが、まだちゃんとある。そんな気がする。




 フィルムは経年劣化する。きっとデジタル化されたほうがいつまでも同じ状態を保てるのだろう。けれども経年劣化するからいいのかもしれない。そこにはちゃんと時間が流れている。人間の時間も映画の時間もフィルムの時間も。行ったこともないけど、ギリシャの神殿がピカピカの大理石だったら興ざめするかもしれない。時間の堆積がはじめて生み出すことだってある。




 この映画、何というのだろう?「人間が近い」。それは監督が一人でカメラを担ぎ、カメラマイクだけで撮影しているからなのかもしれない。第三者の目線ではない。いつもカメラが人間と人間の関係の内側にある。だからかな、近所のおっちゃんやおばちゃん、子どもらがいつもどおりにそこに映っている。そんな感じの映画。親密さはそんなところに感じるのかもしれない。




 凄い映画か?と言われたらちょっと口ごもってしまうけど、人がつくった、人を映し出した映画ですよ。

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 ケン・ローチの" the spirit of '45" をみた。

 やっぱり『わたしは、ダニエル・ブレイク』とあわせてみたい。

 1945年の労働党政権の誕生の「革命性」と『ダニエル・ブレイク』の中間報告のような位置に『ナビゲーター ある鉄道員の物語』と『ピケをこえなかった男たち リバプール港湾労働者の闘い 』がある。

 サッチャー(レーガン、中曽根)の新自由主義はまずもって労働者の戦後的な権利の剥奪だったし労働者の団結の破壊、労働運動の破壊だった。
 どこの国でも鉄道、炭鉱、港湾は労働運動の軸でもあり、激しい攻防点にもなった。

 1993年の鉄道の民営化による鉄道労働者の魂が切り崩され、腐らされていく様を『ナビゲーター ある鉄道員の物語』で彼はある意味で冷徹に描き出している。そこに甘い幻想や希望などはない。むしろ民営化され、労働者が事故を隠蔽し、仲間の生命を犠牲にするところまで零落していく。「いい映画を見たなぁ」なんていう開放感とか爽快感なんかとは無縁の世界だ。ケン・ローチはまるで「中途半端な、甘やかな、幻想的な希望よりも真実の絶望のほうがはるかに貴重だ」と言っているようにしか思えない。

 けれども彼がただただペシミスティックになっているわけではない。
 『ピケをこえなかった男たち リバプール港湾労働者の闘い 』はドキュメンタリーで、リバプールの港湾労働者の2年近い闘争を記録した作品だ。
 いや作品というべきものではないかもしれない。記録ですらない。
 いま見た人はたぶん、「これって結局どうなったのだろう?」と思う。私も思った。この『ピケをこえなかった男たち』はリバプールの500名の港湾労働者の闘争のさなかに、その闘争を描き、支援を訴えるために作られたのだろうと思う。だからそこには結末はない。ケン・ローチにとって大切なことは作品としての完成度でも、意義のある記録を残すことでもなく、目の前の、いま、闘っている労働者の勝利であって、それ以外ではなかったはずだ。ジョージ・オーウェルの『カタロニア賛歌』と同じだ。『カタロニア賛歌』もやはり記録ではないし、作品ではないと思う。

 当時、リバプールの港湾労働者の組合は全国組織の港湾労働組合の執行部から排斥され、孤立無援の闘いを闘っていた。支援はあった。けれども最大の支援組織であるべき全国組織は骨がおられ、闘争を抑制する方向にかじを切っていく。
 ケン・ローチはその闘いに希望をみたのか、どうだったのかわからない。ただきっと彼は、全国組織の外部に弾き出されようとしているこの労働者の闘いが、とても重要で、そのために自分ができることをやらなければ、と思っていたのだろうと思う。労働党を内側から変えていくというのではなく、四分五裂して力を失っているイギリスの左派運動を一つにまとめ上げるための「捨て石になる」としているケン・ローチの姿と重なるものがある。
 2013年にケン・ローチは”The Spirit of '45" の完成とともに「『レフト・ユニティ』を結成 し、新しい左派政治運動を始め」、一人の活動家として活動し始めている。

 参照 ケン・ローチが呼び掛け、英国で新しい左派政党の建設へ…「レフト・ユニティ」~新自由主義保守党、降参した社民党、分裂した左派を越え、新しい左派政治を摸索
(レイバーネット チョン・ウニ記者 2013.05.10 15:21)


 ”the spirit of '45" をみるとはっきりと社会主義が語られ、45年の精神を、つまりは社会主義の精神をいま蘇らせようとする人々がたくさん出てくる。コービンもそうだし、共通する理念をもつスコットランド国民党は急速に党員を増やし、自治政府の首相を握っている。ただスコットランド国民党は、急進派を排除してしまったから、今後どのようになるのか、とは思うが…

 ルペンが台頭はしている。移民排斥などはもっともっと激しくなるに違いない。差別や貧困もひどくなるだろうと思う。けれども、ヨーロッパやアメリカで左派が一方的に敗れ、崩れていっているのではない。昔からの社会主義者が、そのまま現在も社会主義者であることを公言し、現在の思想としてそれを提起し続けている。古めかしかった社会主義が、何かとても新しいものであるかのように息づき始めている。日本にも社会主義者や共産主義者はいるはずなのだけれども、社会主義や共産主義という言葉が私には見えなくなってしまっている。
 三上智恵『標的の島~風かたか』をみた直後的感想。
 これは、沖縄を、辺野古や高江を、あるいは宮古や石垣を撮ったドキュメンタリーではない。そうではなくて、沖縄が、辺野古や高江が、宮古や石垣が送り届けてきたドキュメンタリーだ。
 それは本土出身の監督が琉球放送時代からずっと沖縄で基地や安保問題=本土の問題を問い続けてきているからではない。
 三上監督は、舞台挨拶のとき、途中でたぶん少し泣いた。
 映画をとることは、対象と一定の距離を取り、現実に対する批評でなくてはならない。そういう声もたぶんあるだろう。
 けれどもこれはそういう意味での「ドキュメンタリー映画」ではない気がする。
 87歳の島袋文子さんは、三上さんに「オバァはぶれないねぇ。どうしてぶれないの?」と聞かれて「私がブレたら死んだ人に申し訳ないさ」とこたえ、さらにこう続けた。「沖縄戦のとき、死んだ人が流した血が混じった水を飲んで生き延びたんだ。そんなことはしてはいけないんだ。」
 ちょっと違うかもしれないけれども、そういう趣旨。
 「Tシャツにサンゴと月桃の花と黒い蝶と白い花(名前を忘れた)をあしらった。サンゴは生命を生み出し続けるもの。月桃の花は沖縄戦を象徴するもの。黒い蝶は何かわかりますか? 沖縄では死者は蝶になると言われている。黒い蝶は死んで間もない人。殺された島袋里奈さんをあらわしました。私も左肩のこの辺りに、こういうものをいつも背負っています」

 そして映画には4つの沖縄の祭りが出てくる。そのために大切なシーンをカットしなければならなかったとも言われた。
 島袋文子さんは飲み込んだ血の記憶とともに、三上さんは左肩に背負い、死んだ人たちにつながり、それだけではなく、沖縄の言葉、沖縄の歌、踊り、祭り。そうしたものが一つの塊になる。72年からとか、45年からとか、沖縄戦からとかではなくて、そうした全部の沖縄がたてに横につながり、その結び目に人々がいて、またさらに次の結び目を作ろうとしている。
 だからこの映画は、沖縄を撮った映画ではなく、沖縄が送り出した。基地反対の声を届けるというよりも、沖縄という世界が映像を送り出してきた。そう思う。そしてその沖縄が戦争と基地にたちはだかっている。
 それは「容認派」がいないということをいっているのではない。そうではなくて、なんというのだろう。そうした人々全体をふくめて、沖縄がその全身を戦争と基地の前に押し出している。そんな感じが強くする。表向き「容認」
している人もまた沖縄なのだと思う。

 ちょっと上手く言えないな。
 しばらく考えてまたかく。

 最後に、三上さんは、ここにいる人が次は10人連れてきてくださいと言っていた。それが時代を変える力になるのだと(とは言わなかったかな?後から私がつけたかな?)。

(容認派という言葉を使ったけれども、容認派と賛成派という言葉を区別して使っています。2013年のシンポジウムでの発言にもあったが、「賛成派はいない。容認派はいる。折り合いをつけざるを得なかった人はいる。けれども賛成派ではない。」)
大林宣彦監督 『この空の花』
 Twitter上でこんな発言がなされる。

椹木 野衣 Noi Sawaragi ‏@noieu
信じ難いほど凄い映画でした。RT @Chigumi: 嬉しいです、魂ちぎれる想いで作りました!(5月18日)

 この少し前から椹木氏は延々とこの映画について述べ続けている。このChigumiさんは制作側の人だ。いやもっとディープな関わりの人だ。「魂がちぎれる思いで作った」。そんな映画がいったいどれほどあるかな。私が知らないだけかな? 
椹木 野衣 Noi Sawaragi ‏@noieu
はい。自分の生き方が変わりかねないくらい衝撃を受けました。
 
 感動したとか、心のしみただとか、美しいだとか、そういういわば「想定可能」な発言ではない。とりつかれている、憑依されているとすら思える。この映画を観たものは、観たものが映画について語るのではなく、映画によって憑依=所有され、映画によって語らされ、そうすることで別次元の世界に降り立つようだ。
 いったい「信じがたいほどすごい」とはどういうことなのだろう。

 Tweetを見ているとどんどん内容がわかってくる。けれども、きっとそんなことどうでも良いと思えるのだろう。取り憑かれるほどのことはまだないけれども、それでも繰り返し見る映画がある。当然、細部まで「知って」はいる。けれどもそんなことがその映画の何かを削ぐなどということは全くない。

 どうしてもみたい。
 なのに全国展開はとてもとてもゆったりしたペースだ。待っていられない。
 魂がちぎれる想い。そういう匂いを私の鈍感な嗅覚でも感じることが出来る映画がいくつか浮かんでくる。例えばアンゲロプロスの『エレニの旅』、『ユリシーズの瞳』、『シテール島への船出』、アンジェイ・ワイダの『カティンの森』、アラン・レネの『夜と霧』。そしてタルコフスキーの『サクリファイス』。ぜんぜん違うかもしれないけれども、そんな匂いがする。

 我慢できなくて、先日、『サクリファイス』を観た。少しは渇きが癒されるかと思ったけれどもmやっぱりダメですね。
 全然だめ。どうして『この空の花』はこの『サクリファイス』を越え出るようにしか思えない。比較の問題ではないのだろうけれども。タルコフスキーが、死に向かう個が、その息子にあててメッセージを託した。そしてその息子が所属する人類というものの絶望と惨禍。それに対峙する個の希望と確信(エンドロールの言葉)。それはきっと奇跡なのだ。そして奇跡のように声を持たなかった息子が言葉を語る。「“始めに言葉ありき” 何故なのパパ。」 その時すでに、世界の惨禍に対した父は、息子のいる場所にはいない。
 けれどもたぶん、「この空の花」はまったく、まったく違うのだと思う。人々がいる。様々な、実に様々な何かを負ってきたものとしてはじめて『人々』がいる。そんな気がする。

 憑依されるのはきっと、…いや、こういうと言いすぎだな。

 それにしてもどんどん乾いてくる。こんなこといままでなかった。見てもいない映画にこんなに何か書くなんてありえない。いったいなにをやっているのでしょうか、私は、と思う。うーん…映画に憑依された椹木氏に憑依されたのだろうか? とにかく観る。


PS そういえばアンゲロプロスの”The Dust of Time”は一体いつになったら観ることが出来るのだろう? フランス映画社、頑張れ。
 想像を遥かに、遥かに絶している。

 放射線の被曝が何をもたらすのか。政府の基準値をめぐって様々な言葉が飛び交う。
 内部被曝を切り捨て、広島・長崎の原爆の被害の実態と被曝者の存在の大きな部分を封じ込め、葬り去ろうとしてきた。チェルノブイリのもっとも汚染の激しい地点に自ら踏み入ることすらせず、広島の「権威」をたてにとって、チェルノブイリの被害のもっとも大きなものは不安感からくるストレスとだ、セシウムによる被害はエビデンスがない、それどころか被害そのものが存在しないとレポートされてきた。100mSv以下では健康に影響は出ませんと一時期はっきりと断言し福島医科大学の副学長に就任した山下俊一氏は、ドイツの雑誌取材で前人未到の実験ができるとはしゃいでみせた。
 福島で原発への否認に傾いた佐藤栄佐久氏は、金額0円の贈収賄事件で逮捕され、職を奪われた。ゴメリ医科大学の学長だったバンダジェフスキーは、セシウム137の被曝が低線量でも危険であるという研究結果を発表したが、入試にからむ贈収賄事件で逮捕され8年の禁固刑に処せられた。

 そうして原子力は推進されてきた。

 だから被曝者は隠され、葬り去られようとする。目の前に被曝による症状を訴えている人がいても見えなくなる。
 水俣病の全貌を明らかにする本格的な調査すらこの国は行ってこなかった。そしていま、それを終わりにしようとしている。病像や被害の全貌が明らかにならない中で、どれほどの人々が落としこめられてきたかわからない。いわゆる「原爆ぶらぶら病」とどうように、理解されず本人の責任にされ、生活の手段を奪われてきたか。胎児性の水俣病の患者が目の前にいた。しかしそれは「見えない」存在だったことについて原田正純氏は深い反省を込めて繰り返し書き記してきた。

 社会的な権威、あるいは権力が被害と被害者を封じ込めるとき、あらゆる問題が被害者その人の責任に転嫁されることになる。フクシマをそうさせてはならないと強く思う。

 「チェルノブイリ・ハート」の子どもたちは、われわれを直視せよと訴えているような気がする。放射線基準値やその危険をめぐる政府などから聞こえてくる数値や言葉は、彼らを見えない存在として闇に葬り去ろうとするものでしかない。エビデンスがないのではない。科学的に立証が難しいなどと言うことではない。そのはるか手前で、エビデンスを消し去ろうとし、立証を妨げようとしているだけだ。田子の浦の汚染が問題になっていたとき、東大のある教授は現地をみることもなく、調査することもなく、あたかも現地調査をしたかのようにして「海は希釈し、浄化作用があるから大丈夫」と論文をだした。どうようのことは水俣病をめぐる「学識者」の幾つもの会議で繰りかされてきた。

 こんなことを一体いつまで続けるのか。いったいどれほどの人々を闇から闇に葬り去るのか。いったいいつまで私たちは傍観し続けるのか。いったいいつまでそのようなことを何度も、何度も、何度も繰り返してきたこの国をこのままにしておくのか。
 少し前にハネケという監督の「ピアニスト」という映画を観た。いろいろ思うところがあったけれども、廣末哲万監督の『14歳』を観ていて、何かがつながった。

 『14歳』では、ある女性が中学時代のトラウマから自分を救い出すために中学教師になる。そう意識されているわけではないけれども、解き放たれない中学生の自分が潜んでいて、その水面下の自分が助けを求めている。そんな『14歳』をみているうちに思った。そうか、あのピアニストは分裂していた自分を突き破ったのか。それまで分裂していた映画の全体が一挙に自分の中に流れ込んでくるような気がした。

 一方の極からもう一方の極へ。封じ込められた感情と封じ込める理性。欲望のままの存在とその存在を強烈に自覚し、痛めつけようとする自分。それが内的自己と外的自己の分裂ではなく、意識された、しかし統御されない分裂しつつ並列するものとして剥き出しに映し出される。

 そして最後に、ピアニストとしての彼女が感情と破壊衝動をあらわにし、自己とその存在を傷つける。狂気の淵で作曲したシューマンと極端から極端への大きな振幅を持つシューベルトに仮託していたピアニストとしての自分。そのピアニストの存在のままに剥き出しの感情を自分に叩きつけるように胸にナイフを突き立てる。彼女はそしてピアニストとしての存在から遠ざかってゆく。
 たぶん生き難い世界に歩み出ることになるのだろう。それまでは分裂した自己を意識しながら、その生き難さは自分に内向していた。その内向していたものが外化されることになるのだろう。きっとそれまで生きてきた世界は、まるで別の顔になる。その世界はもう彼女を受け入れない。そこに居場所はない。それが自分を突き破った者の引き受けなくてはならないことに違いない。

 そして『14歳』。

 誰もが何かを壊したことがあるだろう。けれどもそれは記憶の底に沈み込んでいる。けれども沈み込んでいるだけで破壊した感触とその衝動は、きっと飼いならされたわけではない。ただ眠り込まされているだけだ。

 「こんな世界など滅んでしまえばいい」、「あいつなど死んでしまえばいい」、「この身など滅んでしまえ」。

 そうした世界への、他者への、そして自己への呪いを、一度も放ったことのない人が、いったいどのくらいいるのだろう。
 やっとDVDが届き、観ることができた。ずいぶん長く待った。本当はこの地方でも上映会をやったし纐纈あやさんの挨拶もあるようだったので行きたかったが、どうしても仕事をあけられなかった。代わりにどこだったかな、神戸だったかな?その舞台挨拶をyou tubeでみた。
 祝島については那須圭子さんの写真集がある(『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』)。

 纐纈さんが「祝島そのものを描きたい」と思っているなら少し美しく描かれすぎているかな。もっと本当はドロドロしたものがあり、人間対人間の格闘があるのだと思う。映画の中での一言、人間を引き裂いたこと、そうした中国電力のやり方に一番腹が立つ、という言葉が出てくる。そのとおりだろうと思う。そうしたことは映画では、意識的にカットしている。那須さんの写真集にはそのあたりも捉えられている。

 けれども、見て良かったな。ずっと待っていた。きっとこういう映画だろうと思っていた。
 人間があたりまえのように自然の一部で、だから自然と一生懸命、ともにあろうとし、けれども同時に、生きて行くために、力を振り絞って自然に人間の意志を刻印していく。そうした姿が描き出されている。海に感謝し、一匹一匹魚を釣り上げる漁師。狭い島に、「コメさえ作れたら生きていける」と信じて、子や孫のために人力で石垣を積み上げ、棚田を作っていった先人とその棚田を耕作する老人。その老人が石垣に、手彫で言葉を刻み込んでいく。ただ自然と共存していたのではなく、必死に生きるために自然に立ち向かうからこそ、自然とともにあろうとするのかもしれない。生きる力そのものを感じる。そしてそれが綿々と受け継がれ、上関原発と激突する。

 「命をかけてやったことがあるか、何か!」 原発建設のための準備作業を行うために動員されてきた警備員と中国電力の職員に対して海上を封鎖する漁船にのった女性から発せられる言葉だ。唇を小さく震わせ、言葉を継いでゆく。船を漕ぎ出し魚をとるのも、石垣を積み上げ棚田をつくるのも、そこには命の力のようなものが込められている。机の上での計算ではない、コンピューターの中のデータではない。自分の手と足と、身体と、呼吸と汗で獲得し、つくり上げてゆくものがある。そこに込められた生きてきた力が、受け継いでこられたその力が言葉となって飛び出した。
 その言葉の主は、「なんだか取り憑かれているのかなと思う」と言う。これまでここで生きてきた人たちに、その願いと思いに。きっと石牟礼道子だったら、その言葉の中にすっと入り込み、向こう側に通りぬけ、その言葉が生み出されてきた島に堆積している時間の中に入っていくのだろう。そしてそこから見てきたように言葉を拾い出してくるのだろう。

 原子力発電所を止める力は、こうした力なのだと思える。生きている事自体に直接根ざした力。そのようにしか言いようのない力。

 政府と電力各社は、それこそ必死に、死活的に原子力を推進しようとしているように思う。再生エネルギーの法案が通ろうが、首相が脱原発発言をしようが、推進派は「ちょっとした嵐だ。やり過ごそう」と雨宿りをして首をひっこめているのだろう。いや、もう顔を出してきているというべきかもしれない。玄海原発は再稼働の一歩手前だったし、泊3号機は公式に営業運転を始めた。それどころか福島第一原発の5号機、6号機で再稼働という言葉が聞こえてきた。首相候補にしてもだれひとり『反原発・脱原発』を主張する人はいない。「反原発・脱原発」が市民の多数なのか少数なのかは分からない。けれども、首相候補が何人もいるなら、国会という場に市民の声がある程度反映されているのなら、一人くらいそうした主張をしていても不思議ではないと思うが、どこにもない。
 国策として推進され始め、利権構造を生み出し、一つのアマルガムをつくりあげてしまっている推進構造がある。それは何も変わっていない。その推進構造は戦後の日本において特殊なものではない。ある意味で深く根を張ったものの一部だろうと思う。
 そうした大きな構造の対極に、おそらく祝島の人々のあり方があるように思う。

 3・11を生きることは、それを少しずつ覆していくことは、祝島の人々がもともと「原子力」や「核」の対極に存在していたように、彼ら・彼女らとは別のあり方で、けれどもどこかで通底するように私自身の在り様を「原子力」「核」の対極のところに作りなおしていくこととしてあるにちがいない。


 『祝の島』自身の感想からは大きく外れてしまった。かな。
 観て、素直に良かったです。久しぶりにほっとする映画でした。けれども、きっと、あの人たちと同じにはなれないし、なることを考えていけないのだということも突きつけられたきがした映画でした。
  アンドレイ・タルコフスキー『サクリアファイス』をみる。
1986年、撮影。撮影時に末期肺がんであることが判明。そのまま病床につき、亡くなる。
エンドロールに「この映画を息子、アンドリョーシャに捧ぐ。希望と確信をもって。アンドレイ・タルコフスキー」とある。自由な映画製作を求めて出国。帰国要請をけり、事実上の亡命のまま客死することになる。

 核戦争の勃発。破局。しかしそれは象徴的にしか描かれない。
 米ソの対決の中で、アメリカもソ連も苦しい状況に陥りつつあった。そして1980年前後から、アメリカは先制第一撃を本気で考えていたという。巡航ミサイル・トマホークと中距離核弾頭ミサイル・パーシングⅡの実戦配備。1981年から82年にかけてヨーロッパでは核の戦場になるのではないかというはげしい危機感から大規模な反核運動が展開された。オランダなどでは軍服をきた兵士が公然とデモに参加するという事態に発展していた。日本でも広島、大阪の集会が20万友いわれる規模でおこなわれ、全国で核兵器廃絶の署名運動がひろがっていた。共産党系、当時の社会党系にとどまらず、公明党や自民党までそうした種類の署名を行っていた。またアメリカの内部告発としてR.C.オルドリッジの『核先制攻撃症候群』(岩波新書)が出版された。そして82年6月に第2回国連軍縮特別総会が開催された。
(トマホークとパーシング2の実戦配備がどうして核戦争の危機を切迫させるものと考えられたのかはまた別の機会に)

 60年安保闘争(と三池闘争)、70年安保・沖縄闘争以降、大衆的な規模の政治運動はなくなったかのように言われているが、ゼロになったわけではない。81年から82年にかけての運動の広がりはかなり大規模なものだった。私は署名そのものの力を信じることはないが、署名運動の広がりはやはり巨大だった。戦後日本の原水禁運動(原水爆禁止運動)は杉並での署名運動から始まる。そうしたダイナミズムが82年にはあった。おそらく日本で、いろいろな署名が、延で7000万ほどの署名が集まったはずだ。
 民意という意味ではこれ以上ないくらい明白だった。
 しかし日本の政府が行ったことは、国連に総理大臣が出席し、スピーチすることだけだった。
 一発の核兵器も減らず、日本への核武装をしていると考えられる米軍艦船の寄港も、沖縄基地も何もかわることがなかった。

 だから私は、これほどの事故があり、被害があっても、それでもなおかつ原子力発電は国策で在り続けるだろうと思う。マスコミの報道などがなくなってきたころに被害の深刻さは小出しにされ、あるいは完全に隠蔽されるだろうと思う。原子力発電を廃止にすることは、本当に大きな力がなければ実現できない。そしてそれをどの政党にも、どの政治家にも頼むことができない。その力は自分たち自身の力でなくてはいけないだろうと思う。


 1980年代前半。危機感に満ちた時代があり、タルコフスキーの映画も作られたのかもしれない。

 静謐な映画だ。
 世界の核状況に、あるいはそこにはらまれている破局に、タルコフスキーは、一篇の詩をもって対峙しようとしたのかもしれない。それはまるで「アウシュビッツのあとに詩を書くことは野蛮である」という言葉に対する挑戦のようにも思える。

 核戦争が勃発し、すべての希望を失う中で父親は、すべてを消失させ、自らを破壊してしまう。人類を?子どもを?救うために。
 そしてそのことを知らない子どもは、一人、核戦争が勃発した日に植えた松の木に水を運び、その根元に寝転がり、つぶやく。「”初めに言葉ありき” なぜなのパパ」。言葉をもたなかった子どもが、晴れた空を見上げながら。そして映画は終わる。

 タルコフスキーの決意なのだろうか。
 希望と確信は言葉となって子どもに受け継げられたのだろうか。

 震災と福島原発の事故が進行している。私は時々しか娘に会うことができない。その娘に添い寝をし、あるいは膝に抱える。その重みと体温を感じながら、福島のことを考える。同じような子どもがいる。もっと小さな子がいるだろう。いま生まれようとしている子どももいるだろう。これから母親になる女性は不安の中にいるのだろうと思う。
 たとえ今すべての原子力発電所を停止させても、すでに放射性廃棄物はとてつもなく膨大に蓄積している。チェルノブイリの石棺の中にはいまもほとんど減ることがないプルトニウムが確か300キロほど眠っている。いったいいつまでこれを私たちは管理し続ければいいのか。管理し続けることは可能なのか。
 九州では玄海原発(これはプルサーマルだったはずだ)の再開に町がOKを出すようだ。

 私はロクでもない社会しか引き継げないかもしれない。タルコフスキーのような「希望と確信」をもつことができない。
  昨日、ツェランの詩を少し読んだからだろうか。今日、予定外に『パサジェルカ』を観てしまった。

『パサジェルカ』。ワルシャワ蜂起にも参加したというアンジェイ・ムンク監督の未完の遺作。強制収容所の女性看守(リーザ)の回想としてはじまる。強制収容所という関係の中で、リーザは、自分は人間的であったのだという。あるいはそのように回想しようとする。けれどもマルタはそれを拒否する。そして戦争がおわり、マルタに似た女性をリーザは船旅の女性客の中に見出す。独白の回想は、自分の過去を夫に独白する形をとってはじまっていく。

ヴェルコールの『海の沈黙』を思い起こした。
もっとも「人間的で、フランスを愛する」占領者であるドイツ軍将校。その将校を批判するのでもなく、ましてや追従するのでもなく、ただただ深い沈黙をもって拒否する。レジスタンスではない。それを行為と言って良いのかどうか分からない。けれども、明白なまでの拒絶とその意志。

マルタはリーザを拒否し続ける。その持続する意志。
囚人たちが行進している、そのかたわらに見せしめとして裸にされた女性が縛られ、立たされている。うなだれたその女性を見つめ、マルタは「アンナ」と一声かける。そしてくいっと顎をあげる。「顔をあげよ、アンナ、下を向くな」というメッセージだ。

強制収容所の中にも「人間的」なエピソードはあっただろう。日本が侵略した中国戦線でも中国人と日本人兵士との「人間的な交流があった」と描き出されることも少なくない。けれど、そこには絶対的な関係が貫かれている。リーザは、その絶対性を、その境界線を緩めようとする。アンナは、その絶対性の一方の極にあり続けた。ヴェルコールはすべての「普通の人々」の在り様としてその一線を描き出した。
リーザの姿を浮かび上がらせるのは、絶対性の極に立ち続けたマルタの存在だ。その存在は抜けない棘だ。消し去ることが出来ない過去と歴史的現在だ。船上に現れた女性がマルタであるのか、マルタに似ているだけの女性であるのか、それはどちらでもいい。しかし、その存在の影とまなざしは、現在の虚構を暴きだしてしまう。

私も、不意に訪れるひとつのまなざしに戦慄することがあるかもしれない。



『パサジェルカ』
1963年ポーランド 監督:アンジェイ・ムンク、出演:アレクサンドラ・シロンスカ(リーザ)、アンナ・チェビェレフスカ(マルタ)

リーザ役のアレクサンドラ・シロンスカ。その美しさと、醜さの変貌が良いです。

 ようやく『シベールの日曜日』をみた。


この世の中にはところどころにすき間があって、そのすき間には霧がたっぷりつまっていて、そのすき間で夢とか空想は霧を養分い生きていて、その空気の中でだけできる呼吸がある。
そして当然のように、霧はときどき消えてしまい、そのすき間はなすすべもなく陽光にさらけ出される。そして空気は失われ、呼吸が止まる。

どの時代にも、どの社会にも、そうした<場所>がある。どんなところにも、きっとそれはある。そしてどんな<その場所>も短い時間で失われる。けれどもきっと、その時間の中は、まるで相対性理論が仮想する光の速さに近い乗り物のように、永遠のような時間が漂っている。短い時間の、そのまた瞬間にスナップショットのような風景が、風景に込められた静止した時間の結晶がきっとある。

現実は、その永遠を憎悪する。そして風景を打ち砕く。


母と父に捨てられたシベールと第一次インドシナ戦争で少女を殺し、自分も半ば死んでしまったピエールが、霧の中、水辺を方を寄せ合い歩いていく。誰も幸福な未来など想像できない。そして決まって不幸がやって来る。
けれど、その不幸は、この風景に込められた瞬間を、本当は打ち砕くことなんて出来ないんだ。それは誰も手を触れることの出来ない、どこか別の場所にあるんだ。



『シベールの日曜日』セルジュ・ブールギニヨン監督、ハーディ・クリューガー、パトリシア・ゴッジ
1962年フランス、白黒






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