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since 2007 10 24  読み書き、見聞き、したもの。など。 twitter https://twitter.com/takagi_toshi
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阿部薫の名前を知ったのは小野好恵の『ジャズ最終章』だった。たぶん10年くらい前のことだと思う。図書館で借りた本だったので、いま手元にはない。ただその印象は鮮烈だった。もっとも記憶内容はとても不鮮明だけれども。

 you tubeにはけっこう音源がアップされている。

 ジャズを少し聴きはじめたのはいつだったかな?いや、いつ、言えるほどはっきりした区切りがあるわけではないかな。それにディープな人たちからすると「ジャズ、聴きます」というと「はぁ?」と思われる程度かもしれない。

 コルトレーンとかドルフィーとかは全然聴かなかった。

 阿部薫の音はyou tubeでごくごくたまに耳にすることがあったけれども、それ以上にならなかった。
 ところが理由は良くわからないけれども、ある日、彼の音がとても美しく思えるようになってきた。先日、突然CDをまとめ買いした。ただ彼の音を一人で聴くのが恐ろしいことであるかのように思えた。行きつけのジャズバーにいってかけてもらった。自分の出力のあまり大きくないコンポで聴くのも嫌だった。最初の音が出るまで異様に緊張した。いまも鼓動が早くなる感じがする。その時は客が私しかいなかったのでアルバム1枚分(最初に到着したのが1971年の『風に吹かれて』だった)、一言も口を利かず聴いていた。音が出るまで異様に緊張したという書いたけれども、聴いている最中も別の強烈な緊張感だった。2曲目(というべきなのだろうか?)のインプロビゼーションの冒頭の音には度肝を抜かれた。とてもサックスの音に聴こえなかった。

 翌日にドサッと6枚ほどのCDが到着した。

 またバーに持って行って聴こうとした。『なしくずしの死』を少し聞いたところでダメになった。仕方ないけれどもジャズバーというところは当然、他にもお客さんがいる。でも最初は良かった。話しかけられるのはちょっと困ったけれども、それでも大丈夫だった。けれども途中から来たお客さんが大声で話をし始めた。2,3分で血液が沸騰し始め、身体の中で何かカチッと音がなったみたいになって、その瞬間、立ち上がって店を出てしまった。最後の引き金を引いたのは「ジャズって何がいーんすか?」という一言だった。
 CD6枚全部そのままおいてきてしまった。店の会計もしてない(といってもそこはチケットがあるから無銭飲食にはならないけど)。あのままガマンしていたら言い争いくらいにはなってしまったかもしれない。
 黙れという権利も資格もないけど、黙って聴いている客のジャマをする権利だって彼らにはないだろう、くらいのことはやっぱり思う。

 あのCD。まだ取りに行けていない。店に行く気になれないでいる。まだ未開封のCD、そのままくれてやる、俺は自分でまた買うんだ、くらいの気分にすらなっていた。
 まぁどう考えても冷静ではないですね。

 でも阿部薫をもう誰かがいるところで聴く気にはなれない。途中で関係ない話をされると土足で踏みつけられたみたいな気分になる。他の時にはこんなには思わないのに。
 『なしくずしの死』まだ少ししか聴いてないな。
 でも、消え入るような、人間の微かな、ゆっくりと流れだす最期の小さな一つの吐息のような、そんな音をかき消さないでください。お願いですから、それを聞き届けてください。少なくとも、聞き届けようとすることを妨げないでください。と、心から思ってしまう。


 阿部のCD追加注文してしまった。

 そして一人で聴くためにもういろいろとトラブルが発生し始めていたこともあって、ちょっと頑張ったなというレベルのコンポを買ってしまった。まだ届いてないけど、聴くにふさわしいと思える状態にしてゆっくり聴く。ゆっくりは聴けないかもしれないけれども、全身の細胞がざわざわしてダメかもしれないけど、それも含めて、「ゆっくり」聴く。
 もうすぐです。もうすぐ。もうちょっとだけガマン。

 でも阿部はどこかで「俺の音を聞いたら死ぬよ」と言っていたらしい。
 …わからなくもない。
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 SIONを聴く。12号室。
明日も、
がんばろう、
と思う。
 デュプレのエルガー。
 チェロ協奏曲ホ短調。第3楽章が美しい。涙が出そうになるくらい美しい。

 苦悩、希望、不安、動揺があり、その向こう側への決死の跳躍があり、魂が律動する。
 3楽章のアダージョ。
 デュプレは、どこかにたどりついた。不安につきまとわれながらも、けれども、ふとひらけた視界を見渡すことができる、そんなどこかにたどりついた。
 胸を膨らませ、大きく呼吸をし、遠くの空に少し嫌な雲を感じながら、草むらに寝そべる。
 弱くなってきているが、まだ日の光は柔らかく、微かなぬくもりがある。
 けれどもその世界は、果てまで行き着くことができない。最後の消えるような和音は終止感をもたない。そのささやかな、つかのまの安らぎは、完結することなく不安が支配する4楽章の冒頭を迎える。

 天を仰いで神に祈る。
 届かぬ祈りだ。けれども、届かない祈りこそ、人間の祈りだ。
 希望など持たぬ方がよいのか? 未来など描き出さぬ方がよいのか?
 けれど、結局、希望はもち、未来を描く。こりもせず、あきもせず、何度も何度も。そのたびに跳躍し、墜落し、地に叩き伏せられ、地を這い、そこでのたうち回る。

 でも、また希望がやってくる。また明るいフリをした未来が見えるような気がする。
 その繰り返しだ。
 きっと、その繰り返しを、ひたすら繰り返すことが、生き続けることなのかもしれない。

 デュプレは、あまりにも高く飛び立ち、あまりにも硬い大地に墜落した。
 神の授かりもののような彼女の魂は、人間の叫びに溢れかえっていた。

 天使にはなれないんだよね。でも「なれ」と命ぜられたら、こうなるのだろうか?

 
マーラー8番、「千人の交響曲」。指揮、エリアフ・インバル。フランクフルト放送交響楽団。

力一杯だ。
以前にN郷アワーか何かでインバルがふったマーラーの2番を聴いた。鳥肌が立った。映像の力もあった。拳を握りしめ、振り上げ、振り回し、汗を飛び散らせ、インバル自身が全力で歌い上げていた。
その姿を含めて、マーラーの『復活』は強く強く印象に残った。
そしてこの『千人の交響曲』を聴いている。スピーカーの限界まで音量を上げ、轟くような音で聴く。

マーラーはどこに行きたいのだ?
大地を揺り動かし、天空を引き裂きたいのか。人々を巻き込み巨大な竜巻のように空に放り出したいのか。
<聖なる暴力>。そんな言葉が去来する。
いや、第一部のタイトルが「あらわれたまえ、創造の主、聖霊よ」というのであれば、大地を揺るがし天を裂くようなその力で主と聖霊を地上に引きずり出したいのだろうか。

そう思わせるほどにある意味で暴力的だ。しかもそれは神聖さという刻印を帯びている。そんな気がする。

いまはしかし、その暴力的なまでの音に身をゆだねよう。
 第3楽章。
美しい。胸が苦しくなる。嵐の中のつかの間の穏やかさ。深い森の中で道に迷い歩き続けた。突然、穏やかな牧草地のような平原が開けた。道は見いだせていない。まだ迷い続けていることにはかわりはない。しかし、つかの間のなつかしいような平穏さが訪れる。
私には第3楽章がそんなように聞こえる。

穏やかだから、ひたひたと不安が迫る。ゆっくり水位が上がってくる洪水のよう。

* * *

一昨日、小さなざわめきがおこり、その残響が定常波をつくるように居座る。昨日、べつのざわめきの中の悲鳴が聞こえた。私は少しは役に立っただろうか?

誰も小さな悲鳴を胸の内に抱え込んでいるのかも知れないと思った。
それが至る所で呼応し、響きあっているのかもしれない。
第3楽章を抜け出して、緊迫した第4楽章に入った。
あの平原でデュプレは何を見ていたのだろうか。何が見えていたのだろうか。涙がこぼれそうになる。
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